なぜ死んだらダメなのか→ただ洗脳されてるだけだから死ぬ必要がない

心の道しるべ

なぜ死んだらダメなのか

結論から言うと、別に死んじゃダメってわけじゃないよ。

ただ、誰も死ぬ必要がないってだけで。

こんなこと言うと、

「いや、生きてるのが苦しいから死が必要なんだよ」

って言いたくなる人も居ると思うけど、それでも僕は断言するよ。

死ぬ必要ある人は居ないし、死なないと解決しない苦しみなんて100%ない。

「あんたに何がわかるんだ」

って声も聞こえてきそうやんな。

でも、わかるよ。

死にたい気持ちを抱いてる時の、あの地獄の苦しみ。

その地獄の苦しみを抱きながら生きる今日の苦しみ。

明日がまた来る恐怖、不安。

だけど自分には未来がないという諦め、絶望。

未来はないのに明日は絶対に来てしまう焦り。

なぜ自分が居るのかわからず生きる虚無感。

全部わかる。

だからずっと死にたかった。ずっとずっと。

小さな頃から、ずっと、パッと消えてなくなりたかった。

精神的なつらさも、肉体的な病気のつらさも、いろんな事件や事故のつらさも、合わせて全部イヤだった。

自分に価値なんてないし、なんで生きてるのかわからなかったし。

誰に聞いても、どんなエライ人に聞いても、納得するだけの答えは返ってこないもんな。

苦しみだらけの、悩みだらけの、悪意だらけの、敵意だらけの、この醜い現実に生きて、一体何の意味があるんって。

それでも、僕は自分で学んで理解したし、気付いた。

1.死んじゃダメな理由はない

2.でも死ぬ必要がない

この2つは絶対的な答え。

1.死んじゃダメな理由はない

極論、人類が滅亡したら、地球は健康になるやんな。

人類は、地球にとっては病原菌やウイルスと一緒で、他の生き物たちにとっては傲慢で野蛮な侵略者みたいなもの。

そんなん、別に滅亡しても問題ないでしょっていう。

種ごと居なくなっても問題ないし、なんなら人間以外全てにメリットなんやから、一人が死んでもなんてことないよって。

「誰かが悲しむから」も死んじゃダメな理由にならない

家族が悲しむ?愛してくれてる人が悲しむ?

誰かが死んで、遺された者がもし悲しんだり後悔するなら、それは遺された者のエゴやから。

死んでから悲しんだり後悔するくらいなら、生きてる間に全力で愛を注げよって感じやんな。

全力でぶつかって、全力で愛して、全力で共有した時間を大切にしろよ、噛み締めろよってさ。

全力で目の前の生きてる人を、死んだらイヤだと思う人を、喜ばせて笑顔にしろよって。

悩んでたら一緒に悩んで、問題に向き合って、解決のために協力して、尽力しろよって。

本当にそうやって生きてきたなら、誰が死んでも悲しむことはないし、後悔もないやろって。

命を見くびって、存在を見くびって、平和ボケして、時間を無駄に過ごして、本心を隠して、建前を気にして、世間体を気にして、体裁を気にして、人と真正面から真剣に向き合ってこなかった人達の、傲慢やねん。誰かが死んで悲しむてのは。

それか、自意識過剰な人間か。

「人を落ち込ませるから」も死んじゃダメな理由にならない

「あの時もっとこうしてれば」

「もっとできることがあったんじゃないか」

誰かが死んでそうやって考えて落ち込む人って、自意識過剰。

過去も未来も、その時その時が勝負で、精一杯なはずやん。

いくら惰性や怠惰で中途半端な過ごし方をしてしまった昨日も、それは「昨日の自分の精一杯」なんやって。

もっとできるとか、ないって。やっちまったことが全てやねんから。

とにかく、遺された者たちの精神論は、死んだらダメな理由にならない。

「遺される者のお気持ち」を死んじゃダメな理由にするのは責任転嫁

遺された者たちの精神論は、死んだらダメな理由にならない。

「遺される者の未熟さを死ぬ人に責任転嫁してるだけ」やから。

死者を悼むフリをして泣いて、死者を弔うフリをして泣いて、自分らの怠惰や傲慢を「死んでしまったから後悔してる」と、この期に及んで死者に責任転嫁してるだけ。

「自分が後悔しない生き方・価値観をしてない」ってのが根本原因であり、完全な自己責任やん。

狡猾な偽善者。

だから、死んじゃダメな理由なんてない。

でも、死ぬ必要もないのも、事実なんだよね。

2.死ぬ必要がない

死んじゃダメな理由はないけど、死ぬ必要もない。

その理由は大きく分けて2つ。

1つは、大前提として、産まれた時から、心の底から「死こそ幸福」だと思ってる人間は居ないから。

人間は、なんの悩みも苦しみもないのに「死にたい」なんて思うような仕組みになってない。

つまり、何か生きてることを苦痛に思う理由や原因が明確にあるから死にたくなる。

2つ目の理由は、死にたくなる原因は100%、生きながらにして取り除けるから。

100%ね。

この世で起こってることは、全て物理。

この世に”存在してる”って時点で全てが物理やねん。

だから、この世で起こってる問題は、この世で解決できるねん。

この世で起きる問題はこの世で100%解決できる

経済的な問題も、健康上の原因も、人間関係の原因も、精神的な原因も全て。

死ぬ必要なんてわずかもない。

何回も言うけど、100%な。

経済的なことで言うと、借金で首が回らんなら自己破産すればいい。

もっと金が欲しいなら稼ぐ方法を調べて考えて学べばいい。

食べる物を買うほどの金もないなら生活保護受ければいい。

健康上の原因なら、治すために頭脳と体力と時間全てを人生に賭ければいい。

絶対に治らない病気や障害なら、今の自分が持ってる価値にたくさん気付けばいい。

人間関係の原因なら、絶縁・絶交すればいいし、物理的に離れればいい。手段を選ばなくていい。

虐待やDV受けてて死にたいなら、家出すればいい。

未成年で補導されても、他人に洗いざらい話して助けを乞うて、それでもダメな大人ばかりなら遠くへ逃げて誰かに匿ってもらって、誘拐事件とかなって全国に広まれば広まるほど毒親やDV野郎には不利。

心が残っててそこそこ賢い人間も探せば居るから、いくらナイーブでデリケートな家庭問題も、フェアに離れる方法は必ずある。

最悪、虐待やいじめで悩んでつらくて死にたくなってるんなら、逆に加害者をボコボコにしてやればいい。

仕事がしんどいとかが原因なら、とりあえず今日仕事辞めて精神科行って、つらくて辞めましたって言ってうつの診断書もらって、そのまま生活保護の申請行けばいいし、診断から半年経ったら障害年金ももらえるさ。

死にたい人ほど頭がいい

昔から、死にたいと思う人ほど哲学的。

勉強はできずともワーキングメモリが多かったり、抽象レベルが高かったりする。

貴重な人材。

いま、経済的にも人権的にも社会は狂ってる。

民主主義で国民主権だから、社会はマジョリティが作ってる。

つまり、多数派が圧倒的に間違えてたり足らないものがある。

それを死にたい人は持ってる。

心のダイヤモンド、原石を。

つくづく思う。

どうして被害を受けてる側が、苦しんでる側が、さらに自分で自分を苦しめる方向に周りが追い詰めてくんやろって。

なんで加害者はヘラヘラのうのうと生きて、法律に守られて、刑罰受ければ償った認定されて、なんなら反省なんてせずに逆ギレの逆恨みしてきたり、本当にバカらしいやん。

社会に淘汰された被害者や弱者こそ、屈服や服従や諦めを拒否しなきゃいけない。

死 ん で 黙 っ て る 場 合 じ ゃ な い。

地獄にも幸せがある

幸せとは、価値に気付くこと。

価値は、気付くもの

価値自体はこの世に無限に有る

気付くことを極めれば地獄に居ながら極楽すら感じられる。

AEDで心肺蘇生されながら致死量の痛みを与え続けられるような拷問にでも遭ってない限り。

死にたい人は、洗脳されてる

……と、ここまで死ぬ必要がない理由を挙げてきた。

死ぬ必要がない最後の理由は、死にたい=洗脳だから。

死にたいって思えてる段階で、死にたいって思うくらいの理性と肉体の余裕はあるわけやから、たとえ難病でも重度の障害でも、それ自体で死ぬわけではないやん。

人は、たとえば「あなたは5分後に死にます」って言われたら、途端に死ぬのが惜しくなる生き物やねん。

自分の中のタイミングやこだわりで死にたいって人も居ると思うけど、そういうのも結局自分で自分のハードルを勝手に作ってるだけ。

常識とか、モラルとか、マナーとか、べき論とか、いろんなもんに産まれてからずっと洗脳されてきて、自分が宇宙でたった一人の存在っていう自尊心もガッツリ剥奪されて、いつしか自分の中にたくさんのモノサシとハードルを作られてしまってる。

それが、精神的自由を奪い尽くしてる。

選択の自由も、機会も、全て、自分自身が自分から奪い尽くしてる。

だからまず、それに気付け。

自分を洗脳や呪縛から解放しろ。

親から刷り込まれた価値観を捨てろ。

精神の、広大で自由で無限な世界を解放しろ。

「人を苦しめる」を法律で考えてみよう

日本には基本的人権の尊重という憲法がある。

生存権がある。

生きるという権利がある。

これは日本の法律の最高法規やねんで。

どんな法律も、この最高法規に反してたら「違憲」になって、無効!有罪!逮捕!ってほど、最強の法。

悪意や敵意を以て人を苦しめたり、いくら諭されても咎められても人を消費・搾取し続ける人間は、その生存権を脅かしてる。

例え家族でも友人でも恋人でも先輩でも上司でも恩師でも。

そして、自分自身による自分自身への攻撃でも。

死にたい気持ちを否定するわけでもないし、死んじゃダメとも言うつもりはないけど、その貴重な貴重な宇宙に1つだけの命を、わざわざ自分で絶やす必要性が、ま………ったくない。

精神論や根性論とか理想論ではなく、これは絶対的な真実だから、異論があるとすればそれは絶対に論理が破綻した意見。

あとがき

今一度、自分自身や命の希少価値について考えてみよう

人間は、死ぬために産まれたわけじゃない。

死ぬために産まれるなら、そもそも産まれる必要がない。

死ぬために産まれるなら、産まれてすぐ死ねばいいってことになる。

乳幼児突然死症候群が正解か?

生きてる全人類が間違いか?

違うんだなーこれが。

人間は、産まれる前から、生きようとするし、幸せになろうとするし、快楽を得ようとする。

産まれる前から、愛されたいし、抱きしめられたいし、褒められたいし、人の肌の温もりが愛しいってインプットされてる。

フリードリッヒ2世の実験でググってみるとわかると思う。

大前提として、死にたいと思ってるということは、今、確かに生きてるということ。

人間として、そこに存在して、生きてるということ。

そして、僕は僕しか居ないし、キミはキミしか居ないってこと。

一人も漏れなく最高に貴重な価値があるってこと。

だから、人間は人間のために生きる=存在してるってこと。

人間のために生きるってことは、キミがキミの命でキミの人生を生きて、自分のことも人のことも幸せにしようとして、人に教えて人に教えられて、人に育てられ人を育てて、そのために学んで、そのために楽しいことして、嬉しいことして、いろんなもの見て聞いて感じて、そして毎日、食べて、寝て、起きるってこと。

何もせず寝てるだけの一日でも、それでも確かに存在し続けてるのが紛れもない偉業だし。

社会の経済的にも、生きてるだけでGDPには貢献してるから及第点やし。

──死んでもいいけど、死ぬ必要もないよ。

環境は変えられる、病気は寛解できる、障害は克服できる、真の貧困は日本にはない。

全力で人生かけて逃げるか戦うか、どちらにせよ選べば100%、死なずに済む。

またでbye。

スポンサーリンク