アスペルガーイズムのたーひとです。
今回は、
自己価値感・自尊心が低い人は、テイカー(奪う人)になりやすい
というお話。
自己価値感は、自分に価値を感じる気持ち。
自尊心は、自分を尊ぶ気持ち。大切に思う気持ち。
そういうのがない人はテイカーになってしまいやすい。
ところで、テイカー(奪う人)って、一体何を奪うのか。
テイカーは、自分や人のリソースを奪う。
リソースについては以下の記事を参考にしてね。
あなたが持つ3つの価値~人的資源・人的資本・人的資産
自己価値感・自尊心が低い人は、自分や人のリソースを奪うテイカーになりやすいんですよ。
でも、いきなりガラッとテイカーにシャバドゥビタッチヘンシーンのテクマクマヤコンするわけじゃない。(古)
テイカーになるまでには7つの段階がある。
これを知って、自傷他害の権化のテイカーにならないよう、発達フレンズは気をつけてね。
テイカー爆誕7段階
テイカーが爆誕するプロセスをカンタンに説明すると、次のようになる。
① 自己卑下 = 「自分なんて」
② 自己犠牲 = 「我慢しなきゃ・やらなきゃ・耐えなきゃ」
③ 自己憐憫 = 「こんなにも頑張ってるのに」
④ 自己正当化 = 「自分は間違ってない」
⑤ 他力本願 = 「誰か助けて、幸せにして」
⑥ 責任転嫁 = 「自分の今の不幸は誰かの何かのせい」
⑦ 自傷他害 = 「もうまぢむりリスカしよアイツ刺そ」
どんなに優しい人でも、消極的で気の弱い人でも、①を満たすとあとは数十年スパンで雪崩。例外はない。
末路は自傷他害。
もう少し1つ1つを詳しく説明していくよ。
① 自己卑下 = 「自分なんて」
①段階目は自己卑下。
自分なんてダメ
自分なんて大したことない
○○のない自分なんて・・・
○○の中には様々なものが当てはまる
必要とされない自分なんて・・・
貧乏な自分なんて・・・
愛されない自分なんて・・・
うまく生きられない自分なんて・・・
恋人が居ない自分なんて・・・
毒親に育てられた自分なんて・・・
学歴の低い自分なんて・・・
自分なんて自分なんて自分なんて・・・
こういうのを自己卑下という。
自己価値感や自尊感情の低さから生じるメンタル。
これが全ての根源。
何らかの条件をクリアしてないと自分には価値がないと思い込んでるメンタル。
個人の苦悩・不幸も、社会や世界の差別や戦争も、全てはこの一人の自尊感情のなさで生じる自己卑下から始まってる。
本当は何があろうがなかろうがこの世でたった一人の貴重な大切な尊い存在なのに、多くの人が条件付きの自分しか認めない。
「自分なんて」
この自己卑下が、②の自己犠牲に繋がる。
② 自己犠牲 = 「我慢しなきゃ・やらなきゃ・耐えなきゃ」
②段階目は自己犠牲。
イヤなこと、しんどいこと、つらいこと、納得いかないこと・・・全部を受け入れちゃう。
自分一人を犠牲にしちゃう。
迷惑かけるから我慢しなきゃ
誰もやらないなら自分がやらなきゃ
こんなことくらいで逃げずに耐えなきゃ
つらくても笑わなきゃ
泣きたくても前を見なきゃ
などなど。
理不尽な状況、環境でも、耐え忍ぶ。
なぜなら、
自分なんて・・・
だから。
マイナスやネガティブから逃げずに耐えることで、
価値のない自分なんかでもちゃんと頑張って人の役に立ってる
と勘違いする。
価値のない自分でも耐えて我慢してなんでも頑張れば報われて愛される
と勘違いする。
神や仏を恨む人も居れば、悪魔や鬼を愛する人も居るのに。
生まれた時は何もできなくて泣き叫んでるだけで愛されるのに。
というか僕は会ったこともないこれを読んでるあなたが存在してるだけで感謝するし称賛するし感動するのに。
人は、自分以外の誰かによって設定された無限に変化する価値(相対価値)に振り回されて、自己犠牲して、自分を苦しめてしまう。
そして「自分側」の関係性の人に強いるケースもある。友達や家族や恋人に、忍耐や努力というハードルを課す。
頑張る能力、耐える能力、そうしようと思う気持ちはめちゃくちゃ尊いし素晴らしい。
でも結果的に、不幸になってつらくなってしんどくなってちゃ、才能のムダ使い。
自己犠牲ができるのは立派な能力で、才能。
それをいい方向に使おう。
そして自己犠牲が、③の自己憐憫に繋がる。
③ 自己憐憫 = 「こんなにも頑張ってるのに」
③段階目は自己憐憫(れんびん)。
こんなにも頑張ってるのに
こんなにも耐えてるのに
こんなにも苦労してきたのに
こんなにも尽くしてるのに
こんなにも大切に思ってるのに
こんなにも考えてるのに
などなど。
いつか苦労が報われる、幸せになれる、解放される・・・不確定で漠然とした根拠のない自己犠牲を続けると、こういう自己憐憫になる。
人生は時系列。
過去 → 現在 → 未来
と、抗えない一方通行。
しかも、過去も未来も、今ここにはない。
今ここにあるのは、今だけ。
過去の集大成が現在。
現在の集大成が未来。
つまり、現在は、過去の結果。
そして、未来は、現在の結果。
いま幸せじゃなければ、過去から積み重ねてる思考・言動・行動が間違えてる。
いま幸せの種を撒かないと、未来の幸せの花が咲かない。
自己犠牲は、自分の土壌を自分で荒らしまくること。
自己犠牲は、人から土壌を踏み荒らされても黙ってること。
なぜなら、
自分なんて
だから。
そりゃ報われるわけないのはわかるはず。
幸せの種まきどころか、マイナスから耕すところから始めなきゃいけなくなる。
確かな目的を目指して、最適な手段を選ぶ。
ハッピーな結果を目指して、明確な原因を作る。
この絶対不変の原則だけが、人生をより良くしていく。
そのためには人からの肯定も称賛も必要で、愛情と休息も必要。
それを自分で求めていく、得られる方向に自分でしっかり進んでいこう。
つまりそう生きることが「最大の自己管理」で、
「自分の人生に責任を持つ」ということ。
自己憐憫ばかりを続けると、④の自己正当化に繋がる。
④ 自己正当化 = 「自分は間違ってない」
④段階目は、自己正当化。
自分は間違ってない
自分は正しい
だって頑張ってきたから
こんなに耐えてきたから
一生懸命我慢してきたから
これらが、自己正当化。苦労の正当化。
たとえ功を奏して良い結果になっても、苦労・忍耐・我慢に因果関係はない。
「目的に対して的確な手段を選んだかどうか」、ハッピーに必要なのはただそれだけ。
「りんごが欲しいのにステーキ焼いててヤケドして、”なんでりんごが手に入らないの????”とキレる人」が居たら、完全にヤバい人って誰でもわかると思う。
でもそれと同じことをたくさんの人が一生し続ける。
自己正当化。
もっとカンタン・ラクな方法で、同じかそれ以上の結果を出せることを、認められない病気。
なぜ認められないか。
それを認めてしまったら過去がムダになる気がするから。
認めてしまったら、過去を否定することに感じるから。(思い込み)
自己正当化や苦労の正当化は傲慢。
なぜなら、
人類は、いかにラクをするか、生活を便利にするか、快適にするかを目的にしてここまで進化して豊かになった。
苦労をすること自体に価値があるなら、サバイバルして生きるのが最適解になる。
便利さを享受しながら、苦労を美化・正当化するのは、矛盾。エゴ。
矛盾が人間の不幸の根源。
何度も言うように、自己犠牲ができること自体はとても能力が高い証拠。
その能力を、ハッピーに使っていこう。
自己正当化を続けていくと、⑤の他力本願に繋がる。
⑤ 他力本願 = 「誰か助けて、幸せにして」
⑤段階目は、他力本願。
燃え尽き気味の段階。
「ずっと頑張ってきたから認めてほしい」
ずっと耐えてきたから褒めてほしい
もう頑張れないから助けてほしい
報われないから幸せにしてほしい
間違ってないって認めてほしい
こうして結局誰かの手を借りざるを得なくなる。
怖いのは、もうこの段階になるとリソースが枯渇してるから、余裕がない。
そうするとどうなるか。
焦り・恐怖・不安に支配される。
そうするとどうなるか。
善悪や正誤を冷静に見極められなくなる。
そうするとどうなるか。
騙されやすい、利用されやすい。
そうするとどうなるか。
いろんな被害に遭いやすい。
もうリカバリーが難しいから、トラブル量産ライフが長期化して泥沼化する。
───自分の人生で、自分と一番長く一緒に過ごすのは誰か。
それは自分自身。
最後まで自分の幸せに責任を持てるのは誰か。
自分自身。
他力本願では、幸せになるのは難しい。
一時的に誰かに欲望を満たしてもらうことはできる。
でも枯渇した心にとっては、焼け石に水、暖簾に腕押し、糠に釘。
これまでのステップで幸せのハードルが爆上がりしてしまってる。
ちょっとやそっとでは自分を幸せにできなくなってる。
「箸が転んでもおかしい年頃」
なんて言葉がある。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
なんて言葉もある。
幸せのハードルは、下げれば下げるほど幸せが増える。
まして、自分で自分の幸せのハードルを上げるのは、死ぬより苦しい。
そして、フラストレーションが限界を超えた時、己の刃が見え隠れし始める。
他力本願が、⑥の責任転嫁になる。
⑥ 責任転嫁 = 「自分の不幸は誰か・何かのせい」
⑥段階目は、責任転嫁。
自分が不幸なのは社会のせい
人間関係のせい
環境のせい
あの店員の接客が悪いせい
隣人が無愛想なせい
などなど、スベテを何かに、誰かに責任転嫁。
でもこれは一理ある。
そもそも一番最初、①の自己卑下が生じる原因。
これは100%、愛情と教養の不足だから。
充分な愛情、適切な愛情。
充分な教育、適切な教育。
これらを注がれなかったがゆえに、自己卑下が生じる。
否定、抑圧、落胆にまみれた環境で育つと、自己卑下が多くなる。
自尊感情も自己価値感も奪いつくされる。
だけど考えてみてほしい。
どうして、愛情と教養が不足したのか。
それらを本人に注ぐ大人が居なかったから。
どうして、それらを注ぐ大人が居なかったのか。
愛情と教養が何かわからない、注げない大人しか居なかったから。
どうしてか。
その大人たちも愛情と教養が不足した人間だったから。
つまり、無限の負の連鎖が起こってる。
世代間連鎖という。
これは社会の責任であり、国の責任であり、国民一人ひとりの責任なのは確か。
でも勘違いが1つある。
いま説明したのは自己卑下の原因であって、愛情と教養の不足が不幸の原因ではない。
なぜなら、いままさに犯罪の渦中に巻き込まれて自由を奪われてない限り、大人の日本人であれば選択の自由はあるから。
不幸や苦悩を感じてる時点で、のたうち回るほどの致死的な激痛があるわけじゃないから。
幸せになろうという意志を持って行動すれば必ず100%人生は良くなるから。
そのために必要なリソースを回復する手段もあるから。
じゃあどうして人は不幸になるのか。
ここまでの段階で、スベテを諦めてるから。
幸せを、諦めちゃいけない。
自分の諦めだけが、自分を不幸にするから。
だから、諦めちゃいけない。
もがき続ける。
どうやったら幸せになれるか。
どうやったらこの苦しみをなくせるか。
どうやったら毎日が輝くのか。
往生際悪く、諦めず、執念深く、その気持ちを持ち続ける。
どんなに変化のない日々でも。
どんなに四面楚歌でも。
背水の陣で、満身創痍で、五里霧中でも。
心を燃やせ。(どっかで聞いたことある)
諦めて責任転嫁を続けると、ついに、⑦の自傷他害に至る。
⑦ 自傷他害 = 「もうまぢむりリスカしよアイツ刺そ」
⑦段階目は、自傷他害。
自分を傷付けるか、人を傷付けるか。
一抹の慈悲が残ってると、自分に刃が向く。
慈悲が枯渇していたら、人に刃が向く。
自殺か、殺人か。
第①段階の自己卑下の最果てに、自殺か殺人がある。
事件があり、犯罪がある。
暴行、脅迫、恐喝、強要、痴漢、窃盗、強盗、危険運転致死傷、強制性交・・・直接的で短絡的な犯罪。
風説の流布、虚偽告訴(冤罪)、詐欺、脱税、密輸・・・間接的、計画的な犯罪。
差別や戦争まで。
ここで大切なのは、加害か被害かじゃない。
人間が人間のリソースを奪ってるということ。
人間のリソースを奪うテイカーの誕生が、自己卑下から始まってる。
だから、自分で自分を幸せにしようとする意志が大切。
注意点
テイカー爆誕7段階を解説してきた。
ここまで聞いて、
じゃあ人に頼っちゃダメなんだ自分で頑張らないと
と思った人も居るかもしれない。
でも待って。
それは②段階目の自己犠牲だよ。
全部を人になんとかしてもらおうとか、全部を誰かの何かのせいにするのが、アンバランスなんだよ。
疲れ果ててしんどくてつらい時は、人に甘えて頼る、こういうマインドが超重要。
しなきゃいけないことを代わりにしてもらったり、労ってもらったり、褒めてもらったり。
早い段階で上手に人に甘えて頼って、感謝することが何よりも大切。
結果が同じなら、よりラクな、カンタンな方法を選ぶ。
知恵を出す。
「困った時はお互い様」
「助け合い・励まし合い・支え合いの精神」
「結果に結びつかないムダな苦労をしない」
シンプルにこれが結論。
そういう人間関係を、なんとか構築しようという方向にリソースを全振りする・・・これが、
ハッピーライフへの最短ショートカット。
心・体・時間・金、この4つの人的資源を、自分も周囲もいかに増やせるか、ムダに減らさないか、奪わないか。
この4つをどれだけ健全に、長く保てるか。
この意志が不可欠。
そのために、自己価値感と自尊心を養おう。
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まとめ
自己価値感・自尊心が低い人がテイカーになる7つの段階を話しました。
① 自己卑下 = 「自分なんて」
② 自己犠牲 = 「我慢しなきゃ・やらなきゃ・耐えなきゃ」
③ 自己憐憫 = 「こんなにも頑張ってるのに」
④ 自己正当化 = 「自分は間違ってない」
⑤ 他力本願 = 「誰か助けて、幸せにして」
⑥ 責任転嫁 = 「自分の今の不幸は誰かの何かのせい」
⑦ 自傷他害 = 「もうまぢむりリスカしよアイツ刺そ」
幸せになるためにも、平和のためにも、まずは自分で自分を幸せにする。
どうにもこうにもリソースが減ってる時は素直に人に頼る、甘える。感謝する。
そういう関係性がない場合は、探す、作ることにリソースを全振りする。
100にしか幸せを感じられない人より、1にも幸せを感じられる人の方が人生は100倍幸せになる。
そんな自分になっていこう。
───何か新しい価値に気付いてくれたなら幸い。
賢いあなたに幸あれ。
生き散らかそう。