周りと自分が何か違う
周りが幼く見える
何を言っても理解されない
人と考え方が全然違う
……などなどの悩みとかあったら、大きめの精神科に行ってWAIS検査(小児ならWISC)を受ければ、自己理解をとても深められるし、賢く生きてくためのツールになるよ。(発達障害とか云々は抜きでも)
検査結果の画像と所感
僕がASD・ADHD(※)って診断されたのは2016年やねんけど、その時にこのWAIS-Ⅲって検査をしたのね。
※現在は専門医に2Eギフテッドの確認済み
IQみたいな数値ももちろん自己理解や生き方の指標にはなるけど、それ以上に、心の状態や性格傾向について自己評価と全然違った結果だったのが衝撃だった。それまでの自己評価としては、
- わかりやすい性格
- ハートフル
- 鋼鉄メンタル
だと思っていたのに、フタを開ければ、
- 個性的な視点
- 感情を必要以上に抑える
- ストレスを溜め込みしんどくても気づかない
という結果だった。こういった自己認知の歪みがあって生きづらさになってたんだなぁ~ってわかったから、人から搾取・利用・淘汰・支配・誤解をされがちな人にはおすすめの検査。
IQが平均でも発達やギフテッドの可能性がある
自身のWAIS-Ⅲ検査結果において、IQ100±15で標準なのに、ASDやらADHDやら診断され、2Eギフテッドだと専門医に言われたのはなぜ?
実は、自身は国際IQテストでは131、高IQ集団であるスイスMENSAでは127、ノルウェーMENSAでは142という結果だった。なぜこんなに数字が違うのかと専門医に確認したところ、
- 慢性疾患を持ってる人はWAISで正確な数値が出ない場合がある
- 対人ストレスでもWAISで正確な数値が出ない場合がある
- ネット上でできるIQテストは一部分の能力しか測れない
- 環境を整えて受けたテストのほうが能力を発揮する
自身は重度のアレルギー持ちで、常に接触物・摂取物・吸入物に気を張ってないと大変なことになるから、寝てる時以外はずっとデッドオアアライブ(死か生か)くらいの神経を張り巡らせててリラックスできていない。外出中は人への気遣いもプラスされるから尚更。
暗闇、静寂、一人、自由───4つの条件をクリアしてるとわりかしリラックスできる。ずっと誰かが近くにいるのは気を使うからムリ。
ネット上のIQテストは「標準偏差15」という指標で作られていて信憑性はあるけど、結局は作動記憶(ワーキングメモリー)をメインに測るものだから、数値が高くても偏ってる。
これを踏まえた上で、
オンラインIQテストの結果のほうが(ワーキングメモリーに関して言えば)WAISの結果よりも本来の能力に近い数字だと思います
とのことだった。
WAISの全体IQ、平均値は普通だけど、突出したところが数か所あるから相対的に最小値との差が大きくなってる。これが2E=twice-exceptional=二重例外。
IQってのは20離れた者同士やと、思考や言動を大体理解し合えないらしいけど、知人にIQ140以上の人が居て、僕は楽しくおしゃべりできる。反対にIQ70の人も居るけど、楽しくおしゃべりできる。おそらく自身の高い値と低い値がうまく作用してるケースではどちらにも対応できるんだろうなぁと。
でもその会話を聞いてる「周りの人」は、言語として発言の内容はわかってもその動機や意図、文脈を理解できてないぽいから、なんにせよ社会的には才能か障害かはグレーゾーンということになる。
検査結果をもとに改善できた短所3つ
短所1 会話で脳内を即座に言語化できない
短所2 自由だと独走してしまう
短所3 失望させるのが申し訳なくて最初から手を抜く
自己理解を深めて人生をハッピーに
ここまで書いたような”特性”が自分にあるってちゃんとわかってからは、付き合う人や身を置く環境を自分で選んで決めた。そうすると、とても生きやすくなった。
人生をより良くするためにいちばん大切なのは「自己理解」だって、科学的にも哲学的にもベストアンサーって今となればロジカルでわかるけど、愛情や教養が不足してると答えに辿り着くのは難しいもんね。
健常者だろうが誰だろうが、こういう「自分を知るための検査」は、みんなしたほうがいいよなーということで、どなたかの足がかりにでもなればと思って今回の記事を書きました。
うまく社会適応できてないと感じる人ほど、こういう検査を受けて、認知の歪みを知って、受け入れて、その上でどういう対策をして自分を生きやすくしてくかを考えていくのが、幸せを感じるためのショートカットと思います。
ムリして”普通”とか”平均”になろうとしたって、非効率的・非生産的すぎるから。心理学からも統計学からも生理学からも免疫学からも遺伝子学からも、同じ結論になる。腕のない人にボール投げろっつったってムリなんと同じ。努力とか根性の外の話。
ありのままの自分で生きられる環境を探すために、人生を使おう。