ハタから見て、めちゃくちゃつらい状況や心身の状態なのに、平気な顔をしがちなASD。大人も子どもも傾向に大差はないけど、抱える問題というのは当然大人になるにつれて増えていくもので、つらさも比例して増えていくもの。
なのにASDが澄ました顔で平然としているのは、別に強がってるわけではなくて、そもそも自分のつらさに気付いておらず、「全員同じで、こんなもん」と捉えてることに起因してる。
十人十色とか桜梅桃李なんて言葉があるように、自分と人は違うってのは常識なんだけど、ASDのソレは、どうやら常軌を逸してるんやとここ数年で気付いた。
なので、ぜひこの記事を読んでもらって、手遅れになる前に自分のしんどさに気付けるASDの人が増えたらいいなと、切に願う。
足の骨が変形しても通院しない父
ASDは、遺伝素因があると言われてる通り、例にもれず僕自身と、父も高機能自閉症(IQ120と高い)。
父がASDと診断されたのは、なんと還暦を超えてからで、奇跡的にも周りを犠牲にしつつなんとか社会適応を定年までこなした、貴重な例でもある。
ただ、その過程は平穏無事ではなく、周囲の人間はもちろんのこと、本人も相当つらかったと思う。
父は、昔から歩く時の姿勢がおかしく、足の底をべたっと地面につけて、こするような歩き方をする。
不良のガニ股とは違ってて、なんというか、常に前かがみの中腰気味ですり足といった感じ。
十数年前のある日、父が「外反母趾になってるかも」と言って靴下を脱いで家族に見せてきたんだけど・・・・・
こんなんなってたんだよね。僕の絵心がないのは置いといて、これくらい、親指が傾いて根元が突き出そうになってた。
明らかにおかしいと思うんだけど、本人はずっと「みんなこんなもんで、歩く時は痛いもの」だと思ってた。
もう一度言うけど、父は正式な心理検査でIQ120超えてる。けど、こんな簡単で重大なことがわからない。
靴のサイズも、足先がめっちゃ窮屈なのをずっと履いてて、仕事も重いものを持つ業務だったから、そんな靴と足で何年も何年も踏ん張り続けてた。
結果的には、外科で入院して手術して、出っ張ってる骨をごりごり削って、見た目はまあまあ普通になったんだけど、歩く時の姿勢や歩き方はもう習慣づいてて矯正は難しいから、最近また骨が変形してきてるみたいで。
「昔の無骨な男」みたいに、つらさや痛みの自覚があってヤセ我慢してカッコつけようとしてるならまだマシなんだけど、ほんっとうに気付いてないから、知らない間にめちゃくちゃ大変なことになってたりする。とてもキケンなんだよ。
下血とPTSDでも出勤する筆者
下血ダバダバ
僕の話もしようと思う。
あんまり自分の苦労?した話とかは不幸自慢みたいでイヤなんだけど、僕自身も自分が感じてるつらさがどれくらいなのか本当にわからないから、例として。(ASDの検査結果では平均の4倍はストレスを感じてるらしい)
1歳で喘息とアトピーだったから、とりあえず呼吸困難と、かゆみや痛みってのは大人になっても常時デフォになってたんだけど、今思えば下血とPTSDの経験は、この記事のテーマに合致すると思う。
───20歳の時に、当時交際してた恋人が学校から飛び降りて下半身不随になったんだけど、飛び降りた時って僕はめっちゃ冷静で、救急車の出動要請したり、循環サインの確認したり、周りの野次馬に指示を出したり、めっちゃ的確な人命救助の段取りを頭ん中で組んで、しっかりこなした。
周りの野次馬の中には、教師も何人か居たはずなんだけど、ああいう時って誰も微動だにしないんだよ。不思議。
───そしてその後もずっと冷静で、悲しさとか「大変だ!!」みたいな感情ってなくて。
ただ、現実的な問題で交際を続けられなくなって別れて、少し自責の念?みたいなものはあったんだけど、フリーになって仕事や遊びを謳歌してたら、ある日突然、下血=血便(ほぼ血のみ)が、1ヶ月くらいダバダバ出て、水飲んでも血が出るようになった。
痛みはあったけど、まぁこんなもんかと思ってしばらく仕事を続けてたら、ある日仕事中に貧血で倒れて歩けなくなって、救急で病院に行った。
そしたら「腸内膜剥離」と言って、腸の中のヒダ?が全部剥がれてしまってたらしい。
本当なら、めちゃくちゃ激痛でのたうち回るらしく、
「今すぐ入院しろ」
って言われたけど、んな大層な~(笑)と思って絶食+毎日点滴に通う方法でなんとか凌いだ。
奇しくも1ヶ月、女性の生理を疑似体験した感じで、いい経験になった。(そういう話ではない)
原因は、過大なストレスらしい。食中毒も考えられたけど、そんなに突然、腸が剥がれて何ヶ月も治らないなんてことはない、とお医者さん談。
大きな病院で精密検査の辱めも受けたけど、特に他の部分の体の異常で下血したわけではなかったみたいだから、ストレスは怖い。
PTSD
そして、数年経ってから、また新たに不思議なことが起こった。
「まさに元恋人が飛び降りた時の映像」が、いきなり頭に浮かぶようになって、「コンクリートや湿った風の匂い」がするようになった。
何を言ってるかわからない人も居ると思うけど、これはPTSDという精神的な病気の、フラッシュバックという症状。
人間が、あまりに衝撃的な経験をすると、その時の五感で得た情報が、数年経った後の全く無関係な状況の時に、突然蘇ってしまうというもの。
恐怖の経験であれば、またパニックになったり、動悸を起こしたり、冷や汗や震えがあったり。
ただ、僕の場合はそこまで焦燥感ってものがなくて、なんというか、勝手に記憶が突然蘇ることそのものが煩わしかった。
だって今まさに目の前で五感の記憶の再現が行われるということは、もし車の運転中だったら大事故に繋がる。
そういう現実的な問題が一番怖くて、だから症状が起こるのが怖くなる……というプロセスだった。
このPTSDも、心療内科で薬飲んだりカウンセリング受けても全然変わらなくて、結果的には自分で哲学の知識を蓄えまくって完全に克服したから、闘病がつらかったという感覚もない。
対策とまとめ
他にも、外耳炎で耳が一時的に聞こえなくなって耳鼻科医に怒られたりと色々あるけど、本当に自分で自分の心身のつらさの度合いがわからず生きて、取り返しつかなくなったこともある。
だから、最近思うのは、自分で自分の状況や状態に気付けないなら、ストッパーみたいな存在が必要不可欠ってこと。
観察者、理解者、だね。
そして、ASDは「自閉」の文字通り、なかなか人と関わろうとしなかったり、本当に親しい人の気持ちさえ受け取るのが下手だったりするから、自分の心身、ひいては人生を失わないためにも、振る舞い方や望む対象を考え直すことも必要だと思う。
過度に干渉せず理解してくれるストッパー的存在+その存在に感謝して素直に心を受け取れる自分自身、そういう関係性を、家族なりパートナーなり友人なりと築けたら、かなり生きやすくなる。
僕を含めた周りのASDの人達が辿ってきた失敗の道を、特に若いASDには歩いてほしくはないから、僕らのしくじりをうまく活かして幸せな人生を送っておくれ、と思う。自分を大切にしつつ、人に心を開こうね。