後悔しない生き方→内発的動機で行動し、選択責任だけを負う

後悔しない生き方→内発的動機による選択責任

後悔しない生き方はたった1つで、

「自分がそうしたいからする。結果が報われるかどうかはどうでもいい。」

という内発的動機だけで行動して、その結果全てを受け入れること。

それ以外に後悔のない生き方は存在しない。

誰かのためとか、嫌われたくないとか、怒られたくないとか、面倒に巻き込まれたくないとか、自分しかいないとか、それって他力本願と責任転嫁だから。

動機を自分以外に設定すること自体、もう全てが虚像で、結果が伴わなかった時に憎悪や嫉妬、羨望や後悔、罪悪感や劣等感、自己嫌悪が心の中に渦巻いて、それはそれは悲惨な未来になる。

動機を自分の「したいから」オンリーにして、いまこの瞬間に自分がどうすれば幸せを感じるかを考えて実行する。

その果てなき繰り返しの流れが、最良の人生を作る。

時間は点ではなく線だから、プロセスや結果なんてない。

人間が勝手にごちゃごちゃ節目やターニングポイントいうを付けたがるだけで、もともとそんなもんはない。

人の平均寿命は25億秒。

強いて言うなれば、1秒という節目が25億回あると考えればいい。

この瞬間の感情の蓄積が、即ち人生となる。

後悔してるヒマはない。

外発的動機で生きると後悔する

外発的な動機で生きるのは後悔するだけでなく、かなり危険なんだよ。

たとえば社会適応とか、順応とか、そういう類の。

それが本当に自分の唯一したいことで、内発動機とイコールならどんどん目指せばいいけども、そうじゃないなら危険。

目まぐるしく社会は変化してるから、内発動機もとい自分の意志がなければ、表面的に流されたり振り回されて心身がぶっ壊れるだけ。

「変わらないものの大切さ」とか、「全ては変化し続けてる」とか色々聞くとは思うけど、正解は、「本質は不変、現象の全てが変わり続けている、それだけは変わらない」。

……なんというか、時空間が存在してる時点で諸行無常は不変だよ、みたいな。

形状的、位置的に、全てがめまぐるしく変わり続けてるという真理だけが何も変わらない、という言葉遊び。

「自分が変われば周りが変わる」という常套句、この言葉の真意を理解して使ってる人間はあまり居ない。

───「自分は変わらなくてもいい、変わってもいい、自由なんだ」と、そう悟り気付くことが、変わるということ。‬

これは、とても難しい。簡単そうで、一番難しい。

どんな頭脳明晰でも、例え世界的な科学者でも医師でも政治家でも弁護士でも、難しい。

社会と書いて仕組みと読むような、構造化された集団生活に完全に溶け込んで馴染んで疑問を抱かない人ほど、気付けない。

人に‪愛されるか憎まれるかなんて、結局は自分ではなく自分以外のそれぞれの人の一存100%。‬

仏を憎み悪魔を愛する人も居るくらいだし。

‪「周りに認めてもらう・好かれるために自分を変える努力をする」……とどのつまり、周囲への願望を動機にしてしまった時点で‬、努力の是非のジャッジを周囲に委ねてしまっている。

適正なジャッジをしてくれるような、善意ある周囲なら、そもそも最初からありのままを認めてくれるし好いてくれるのに。

条件付きの及第点は、生きる上でのハードルになる。

後悔しない生き方をするには、生きる上でのハードルを心身共に撤廃するためにどうするか・・・に視点を向ける必要があるよ。

 

 

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