センスを身につけるには所属集団の中での最適解の実現と超越が鍵

『ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち』という本を読んだ。その中で「センス」という言葉が出てきて、深堀りするパートがあった。これまでの人生の中で、
「センスがある」
「センスが良い」
という言葉を仕事でもプライベートでも何度か人にいただいたことがあり、そのたびに、実はよくわからないままで「アハハ」と愛想笑いして流していた。褒められていることはわかるけど、自分はたくさん努力しているのに、なんだかその努力が実ったのではなく元から備わった能力であたかも「カンタンにやってのけてる」と言われてる感じがして、素直に喜べなかった。

そもそも「センスがある」というのはどういうことなのか理解できていなかったから、この本で深堀りしているところが興味深かった。この本では「美しい仕事をする」と定義されているけど、まだまだ曖昧すぎて他の物事に広く応用はできないから、もう少し深ぼって考えてみることにした。

最終的に「センスある・ない・良い・悪い」は、自分が所属してる集団において、先回りして最適解を実現する力と、集団の最適解を超越する力に対して集団が評価して決まること。

センスがある人=集団の最適解を実現する人

センスの有無は、ある物事に対して自分が所属する集団が抱いてる最適解を「実現」するかどうかで決まる。

ある物事に対する集団の最適解は、言い換えると期待。期待を実現できるかどうか。

センスがある人

実現できない実現できる
最適解センスないセンスある
超越センス悪いセンス良い

センスがある人は、自分が所属する集団が抱いてる最適解を“先回りして”実現できる人。

  1. 周りがおぼろげに抱く最適解に対して、
  2. その最適解を伝えられる前に、
  3. 最適解か近似値を実現する

これができるのがセンスのある人。

“先回り”をするのが重要で、そうでなければセンスはフツウになってしまう。フツウを継続してしまうと、センスがない人に格下げになってしまう。

センスがない人

実現できない実現できる
最適解センスないセンスある
超越センス悪いセンス良い

センスがない人は、自分が所属する集団が抱いてる最適解を実現しない人。

  • 最適解をまったく汲み取れない
  • 伝えられてもわからない
  • わかるけど実現しようとしない
  • わかるけど実現できない

これらの場合は「センスがない」と判断される。

センスが良い人=集団の最適解を超越する人

センスの良し悪しは、ある物事に対して自分が所属する集団が抱いてる最適解を「超越」するかどうかで決まる。

ある物事に対する集団の最適解は、言い換えると期待。期待を超越するかどうか。

センスが良い人

実現できない実現できる
最適解センスないセンスある
超越センス悪いセンス良い

センスが良い人は、自分が所属する集団が抱いてる最適解を超越する人。

  1. 全員がベストだと思ってることがあるが、
  2. 自分の中では明らかなベターがあり、
  3. 早急に実現するか明確に示す

これができるのがセンスが良い人。

“早急に”がポイント。人間は変化を嫌う。(現状維持バイアス、コンフォートゾーンと言う)
明確に、早急に、メリットがあることを自分が所属する集団の大半に実感させないと、リソースだけを消耗して最適解すら実現できずに何も残らず、センスが悪い人になってしまう。

センスが悪い人

実現できない実現できる
最適解センスないセンスある
超越センス悪いセンス良い

センスが悪い人は、自分が所属する集団が抱いてる最適解を超越できなかった人。これは最悪。

  • 全員がベストだと思ってることがあり、
  • 自分の中に曖昧なベターがあるが、
  • 実現しても結果は不変、微変化、悪化するか失敗する

こういった場合は「センスが悪い」と判断される。

「守破離」とも言うように、自分が所属する集団の中での最適解を踏まえた上で、さらに確かに改善していくことに超越の価値がある。

費用対効果も曖昧なままでなんとなくベターを探ってしまうと良くない結果になり、センスが悪い人になってしまう。それなら最適解を実現してセンスのある人に留まっておいたほうがいくらかマシ。

最適解(期待)を超越しようとするのは、リスクを取る行為。しっかりリスクヘッジした上で、それでも最適解をさらに最適化できると踏んだ時が「センスが良い人」になるチャンス。

『ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち』を読む

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