「火のないところに煙は立たない」という言葉がある。SNSなど公共の場で不適切な発言をすると、瞬く間にテレビやネットで拡散され騒ぎ立てられ、対応を間違えれば過激派から日常生活に支障を来すほどの危害を加えられかねない「炎上」。最悪の場合、発言者が命を奪われたり自ら絶ってしまったりするけど、後者の場合は追い詰めた責任を誰も問われないというなんとも胸糞悪い結果になる。以前は影響力のある人物だけが炎上の火種になりがちだったけど、昨今は大した影響力のない個人のSNSでさえもその危険に晒されてる。
切り取られた発言にマッチやライターの火くらいの着火力や温度があったならまだしも、一瞬の火花だったり、なんならカイロや湯たんぽくらいの暖かさかつ難燃性だったりと、冷静に客観視すれば安全とユーモラスが担保された発言であったとしても、一部の過激派の捉え方によって地獄の業火と化すのが炎上の怖いところ。
全員とまでは言わずとも、過激派の中には「ミュンヒハウゼン症候群」や「メシア症候群」という心の歪みを持つ人たちが含まれてることがある。
ミュンヒハウゼン症候群:弱者になる努力をする症候群。この努力は偏執狂レベル。偏執狂→異様なまでの執着。世界基準の精神医学マニュアル『DSM-5』では、「作為症(虚偽性障害)」という診断名で表記されてる。ミュンヒハウゼンとは、ドイツの貴族・ミュンヒハウゼン男爵のこと。「ほら吹き男爵」の異名を持っていたことが由来。
メシア症候群:弱者っぽい人がいたら衝動で助けようとする症候群。メシアとは救世主のこと。メサイアコンプレックス、キリストコンプレックス、英雄症候群、救世主妄想と呼ばれることもある。心理学用語であり、正式な病名ではない。
それぞれ、
- 悲劇のヒロイン症候群
- 悲劇のヒーロー症候群
と捉えるとわかりやすい。ただし、男でもヒロインになるし、女でもヒーローになる。
この2つの症候群が絡むと共依存関係になり、何も問題がないところに問題を生じさせ、どんどん膨れ上がって大問題になり、周囲を盛大に巻き込み、最悪の場合、誰かが死ぬ。「炎上」も、これらの症候群が絡んでるケースが少なくないように思う。
ミュンヒハウゼン症候群
ミュンヒハウゼン症候群が、弱者になる努力をする症候群とは具体的にどういうことかというと、
- 自分で毒を飲んだり自分の体を痛めつけて、
- 病気やケガになって、
- 病院に行って診断してもらい、
- 人々の同情や哀れみを得ようとし、
- 仲間や味方を増やそうとする
このような一連の流れを狂気じみた努力で繰り返す症候群ということ。原因は自尊感情+自己価値感+自己肯定感(=セルフエスティーム)の完全な欠如。
かつては身体的なケースが多かったようだけど、現代では多様な精神疾患が急増してることから、皮肉なことに「精神疾患にさせられた被害者であろうと努力する精神疾患」パターンも出てきて、これにより周囲からは因果関係や現象がより一層目に見えなくなり、問題の全体像を複雑化・深刻化させてる印象。
「誰もわかってくれない、みんなが自分を攻撃してくる、なんてかわいそうな僕(私)」
という心情・セリフがミュンヒハウゼン症候群を最も的確に表していると言える。
メシア症候群
メシア症候群が、弱者っぽい人がいたら衝動で助けようとする症候群というのは具体的にどういうことかというと、
- わかりやすく傷ついてるっぽい悲しんでるっぽい人がいると、
- 衝動的・強迫的・義務的・盲目的・一方的に同調・共感・解決しようとし、
- 騙される、疲弊する、投げ出す、人間関係が壊れる
この一連のムーブを繰り返す症候群。原因は自尊感情+自己価値感+自己肯定感(=セルフエスティーム)の欠如。
「この人には僕(私)が必要だ!そばにいてあげないと!」
という心情・セリフが一番メシア症候群を的確に表していると言える。
ミュンヒハウゼンとメシアによる炎上までの流れ
- ミュンヒハウゼンが弱者になるには、強者が必要
- でも前提として何も問題は起こっていない
- ゼロから問題を作るしかない
- 奇行(後述)によって問題を生み出す
- 生み出した問題の責任や原因を「特定の無害な誰か」に転嫁して加害者に仕立てる
- この世の終わりが来たように騒ぎ立てる
- 問題の全体像・細部・時系列を明確に判断できないメシア達が登場
- ミュンヒハウゼンの奇行にブーストを掛ける
- 正確に状況判断できないその他の有象無象が集る
- 加害者に仕立てられた人が集中砲火を浴びる
数の暴力が発動しなければ9に至らず鎮火する。
ミュンヒハウゼンが問題を生み出す奇行3つ
- ストローマン論法
揚げ足取り、重箱の隅つつき、言動や行動の一部切り取り、曲解、単語脳、言葉狩り。一部始終の前後関係や時系列、背景、意図、意味、過失・故意を無視して、人の言動や行動のほんのひと欠片を限界まで誇張し、叩きのめそうとする論法。 - whataboutism
棚上げ、論点のすり替え。周りの人に何か注意されたり指摘されたら須く攻撃と受け取り、
「あなたはどうなんだ」
「みんなはどうなんだ」
と主語や規模をすり替えてうやむやにする。自分に甘く人に厳しいムーブ。 - ガスライティング
操作欲や支配欲による、執拗で圧倒的で尊大で、時に巧妙な決めつけ。あまりにも須く決めつけられ続けると人間は混乱する。何も失敗や間違いなどなかったとしても、嘘八百の誹謗中傷などを堂々と長々され続けると
「あれ?やっぱり自分がおかしいのかな?」
と自信を失ったり不安になったりする、その仕組みを利用した一種のマインドコントロール。特に自責思考や自問自答をしがちな人は、頭の中でガスライティングを反芻してしまうから、よりコントロールされやすい。
これら3つの奇行が主に火種になり、メシアや有象無象が同調して徒党を組み、カオスな炎上が爆誕する。
映画でわかる“代理”ミュンヒハウゼンのヤバさ
ミュンヒハウゼンが、無害な人を加害者に仕立てて、被害者のフリをして味方を増やし、哀れみや同情を獲得する症候群なのに対して、「“代理”ミュンヒハウゼン症候群」はさらに複雑さと危険さを増す。文章で説明するより『RUN』という映画を観てもらうほうがわかりやすい。
『RUN』は、代理ミュンヒハウゼン症候群がテーマの映画。
あらすじ:幼少期から不整脈、血色素症、喘息、糖尿病、麻痺を患っていた少女は、献身的な母親の助けを借りて自宅で車イス生活を送りながらも、自己学習を続けて大学を受験するほどまでに成長する。合格通知を心待ちにしていたある日、母親が買い物から持ち帰った紙袋の中から、自分がいつも服用してる薬ではない謎の薬瓶を見つける。疑問に思いつつ見なかったことにするが、その夜、母親が謎の薬を飲むように促してくる───。
このあらすじだけで、ここまで読んだ人なら大体察しはつくと思うけど、代理ミュンヒハウゼン症候群は自分以外の人間を弱者に仕立て上げる。自分で身近な人を巧妙に傷つけて弱者にし、傷つけたその人を心配したり介抱したりする自分に酔うことに生きる意味を見出す。もしその嘘を暴こうとする人や、被害者を助けようとする人が現れれば全員が敵で、容赦なく攻撃し、その人たちの人生や命がどうなったとしても罪悪感はないどころか、自己憐憫(なんて自分はかわいそうなんだという気持ち)がより増すだけ。原因は、もちろんトラウマ的な過去による自尊心の欠如。
その他にもミュンヒハウゼン症候群がテーマになったThe Trouble With Mom – ‘Munchausen’ – VICE Shortsというショートムービーが、YouTubeに公開されてる。
海外の映像作品だけどセリフは一切なく、ストーリーを観てるだけでミュンヒハウゼン症候群をよく理解できるから、気になる方はご覧あれ。
「170cm以下の男子に人権ない」
2023年に、ゲーム配信者のたぬかなさんという方がライブ配信中、
「身長170cm以下の男子に人権はない」
という旨の発言をして炎上した。
統計的に、こういった冗談を真に受けて過剰反応するのはMAXでも全体の3割ほどなので、発言に該当する男子でもほとんどは、
「おっ、言ってくれるねぇ~このやろ~(笑)」
で笑って終わる話。仲良しの人なら尚更「ただの雑談」だし、女子の方々にとってはなんの興味も湧かないほど他愛もない発言のはず。
実際、その配信の参加者は30人ほどで、ファンだけの身内ノリだったようだから冗談の1つとして流されていた。にも関わらず炎上したのはなぜか―――実は、たぬかなさんと数少ない“仲良し”だった他のゲーム配信者さんが、その裏では2年くらいたぬかなさんを炎上させるための活動を続けてた。
身内ノリで発せられたちょっとタブーな発言も、暴露系のSNSアカウントにDMでリークしていたりとその活動には余念がなく、見事に正義の名の下でリンチをして気持ちよくなりたい人たちを焚き付け、たぬかなさんは獲物になってしまい、自宅や実家にまで人が押し寄せる事態にまで発展し、所属するプロeスポーツチームからは契約解除、活動自粛に追い込まれた。
―――この炎上事件では、裏で活動をしていたその人もハッキリと仕掛け人としてバレてそれなりの代償を払ったようだけど、仮に代理ミュンヒハウゼン症候群の人が同様の目的で動く場合、更に用意周到にバレないよう立ち回って炎上させ、すかさず本人にすり寄って慰めて励ます自分に陶酔し、あわよくば周囲にも「味方アピール」をし、最終的に自分の株が上がるように仕向ける。
代理ミュンヒハウゼン症候群の人は、もれなく頭がいい印象。
代理ミュンヒハウゼン症候群の辞書に「正々堂々」はない
代理ミュンヒハウゼン症候群がどういうものかの説明を冷静に聞くと、愚かで浅はかな症候群に聞こえるかもしれないし、「そんなこと本当にあるの?」とか「そんなの怪しすぎてすぐにバレるでしょ」と思うかもしれないけど、実際には大胆な嘘を貫き通す代理ミュンヒハウゼン症候群の人たちは知能指数が高い可能性がある(経験上、IQ125前後)。端的に表現すると頭脳派DVのことだから、正々堂々なんて概念自体が彼らにはない。
自身の身内に解離と多動を併せ持った高知能の当事者が過去にいたし、かつてプチ炎上した時の火種を作ってた人たちの振る舞いを観察しても、IQの中央値(100)ではあの複雑な仕組みは作れないように思う。(マスにおける経済的ヒエラルキーのてっぺんらへんがIQ120~130の人たち)
性格も普通以上に善人に見え、容姿が良かったりユーモアを持ち合わせてることもあり、専門家であっても見抜けず騙されてしまうことがある。それくらいとても巧妙で狡猾な仕組みを意識的・無意識的に作る。実際に遭遇した場合にミュンヒハウゼン症候群を見抜いたり回避するのは、初見ではほぼ不可能と言っても過言ではない。
では、実際に遭遇して巻き込まれたり、「ターゲットになってる」と早期に気づけた場合はどうしたらいいかというと、間違っても応戦したり説得したり詰問してはいけない。ミュンヒハウゼン症候群は自尊感情の欠如が原因だから根が深く、誰かが正々堂々と正面から真剣に誠実にぶつかったところで思う壺。焼け石に水どころか、火に油を注ぐだけ。賢い対策は、ひたすら謝る・逃げる・隠れる。これが最適解。
ターゲットにされた時の対策→謝る・逃げる・隠れる
ミュンヒハウゼンとメシアのターゲットにされたときの一番の対策は、謝ること。いかに自分が悪くなくても謝ったほうがいい。多くの場合、奇行は一時的・衝動的なものだから、謝って逃げてほとぼりが冷めるまで隠れてれば勝手に沈静化する。
- 周りに味方が少ない
- 守るべき大切な人がいる
- 失いたくないものがある
これらの条件を満たす人は、ミュンヒハウゼンやメシアに関わっちゃいけないし、不運にもターゲットになってしまった場合でも決して戦おうとしたり、説得しようとしてはいけない。
ミュンヒハウゼンやメシアなどの症候群くらい自尊心が欠如した人は、過去の虐待やいじめなどのトラウマ的な経験によってナルシシズム(自己愛)が適切に育まれず攻撃性を孕み、心がザルになってしまってる。人に向き合ってもらっても愛を注がれても気づくことはないか、気づいても素直には受け取れない。
関わるとすれば、いわゆる徹底的に「論破」をするか、なんらかの被害が起こったあとで然るべき措置を取るかの二択で、どうにか本人に改心させたり、示談のように穏便にすべてが丸く収まったりするケースは非常に稀なように思う。
本人たちの意思と無関係にそれを克服させるためには、四六時中、噛みつかれても引っかかれても殺されてもザルに愛情を注ぎ続けるような聖人君子が数年~十数年と寄り添うことが必須。その過程で境界性人格障害や自己愛性人格障害を呈すこともあり、
- 崇拝と侮蔑の二極評価
- 裏切らないか試すための裏切り行為
- 過度な要求
- 幼児退行
などを数年に渡り繰り返す。それらに耐えて受け入れる覚悟がないなら、関与・臨戦・説得は徒労に終わる。
謝る・逃げる・隠れる、忘れずに。
裏技として、切れ者の代理ミュンヒハウゼン症候群やメシア症候群は序列や権威主義・知性主義的な傾向があるから、本人たちが絶対の信頼を置くような人間がいるならその人間に適切に直接指導してもらうと、もしかしたら一時的には我に返る可能性があるかもしれない。(これは自身の身内を含む観測範囲内における経験則)
ミュンヒハウゼン症候群を改善したい本人ができる努力3つ
わずかばかりの正気が残っていて、罪悪感があって、自分を変えたいという気持ちが一抹でもあるミュンヒハウゼン当事者が、自尊心を回復するためにできる努力が3つある。かつて僕が自尊心ゼロだったところから回復した方法。万人共通。
- プライドを捨てる
ミュンヒハウゼン症候群の人は、妙なプライドを持ってる傾向がある。自分の間違いを認められなかったり、人に自分の弱みを見せられない。つらい、しんどい、苦しい、怖い、さみしい、恥ずかしいなどの感情をありのまま、家族にすら見せることがとても難しい。「誰にも自分を理解できるわけがない」と高を括ってるから人を信用しないけど、実は精神状態としては極度にいじけてふてくされてるような状態で、ただ愛されたいだけなのに自分を愛せないから愛されてないと思い込んでるだけ。人間は自分のことすら100%正確に理解できない生き物だから、他者のことなど100%理解できないのが当たり前、大前提。だからこそ理解しようとする姿勢そのものが重要で、これは愛の定義でもある。プライドは捨てるほど、愛してくれる人の絶対数は確実に増えるし、既存の愛にも気付ける。 - 幸せと愛情のハードルを捨てる
ミュンヒハウゼン症候群の人は、幸せと愛情のハードルを高く設定してる傾向がある。本当は人間の存在そのものが資源で最も大きな価値があるから、存在まるごと愛されて幸せなのが当然なんだけど、DVやいじめなど周囲から雑に扱われすぎた人生だと、社会的な役割としてのぐらぐら移ろう価値でしか自分を測れない呪いにかかってそこに執着してしまう。幸せと愛情はハードル(条件)を設けるほど感じられなくなるから、「◯◯な自分じゃないと幸せじゃない、愛せない、愛されない」という不幸一直線な条件は捨てよう。生理学的にも心理学的にも、「100点しかダメ!」と思ってる人より「0点でもいいや~」と思ってる人のほうが幸福度は高いし愛されるし、人にも優しくできるし、サステナブルライフになる。ハードルを捨てる―――最初はうまくできなくても、この仕組みを知ることが第一歩。 - 人を信じきる
ミュンヒハウゼン症候群の人は、人を心から信頼しない傾向。幸せと愛情のハードルが高いせいで、人との距離が近づくほど内弁慶的に相手の粗探しをしてしまい、深い人間関係を築きにくく、孤独を感じやすい。プライドも、幸せと愛情のハードルも捨てるようにして、嫌われたり裏切られる前提で人を信じきって、喜ばせたり楽しませたり、素直に頼ったりすると、必ず何%かの人とソウルメイトのような信頼関係を築けて、孤独じゃなくなるし幸せと愛情を感じられるようになる。これら一連の現象は、ゲーム理論、ラポール、マタイ効果、ザイオンス効果、スタイルシンクロ、返報性原理というロジックの複合で起こる。詳細は割愛。
※明確な敵意や悪意を向けてくる人や、お金でつながる関係に対してはこの限りではない
自分を変えたいと思う人だけが変われる───これはミュンヒハウゼン症候群に限った話じゃない。自分を変えるということはあらゆる物事の捉え方を変えるということだから、勇気がいる。他力本願・他責思考・あきらめ思考では変われないけど、ミュンヒハウゼンの人、特に代理タイプは賢い傾向があるから100%腹落ちすれば激変するポテンシャルを秘めてると感じる。当事者の人はあきらめずに頑張ってほしいと思う。
メシア症候群を改善したい本人ができる努力3つ
僕自身、かつてメシア症候群っぽくなって、周囲の人を問題に巻き込んでしまった経験がある。失敗を繰り返す中で、このままじゃいけないと思って学んで考えて行動を変えていき、克服した。最も効果のあった努力を3つ挙げる。
- バイアスを外す
メシア症候群の人の行動動機は衝動的・強迫的・焦燥感・義務感だから、冷静さを欠いてしまっていて、思考に大きな偏りが生じて的確な状況把握ができなくなる。
“常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション”―――アインシュタインの有名な言葉。この偏見のことをバイアスと言い、人間の振る舞いの決定にかかってる無意識のバイアスを「アンコンシャス・バイアス」という。人間の思考には必ずバイアスが幾重にもかかっていることを日頃から意識しておくと、いざという時にバイアスを外して状況把握しやすい。 - 統計的視点を持つ
メシア症候群の人の行動動機は衝動的・強迫的・焦燥感・義務感だから、視野狭窄に陥ってることがほとんど。ぱっと見える範囲だけですべてを判断しがち。たとえばポリティカル・コレクトネスにおいて、
「日本人は勤勉だ」
というデカい主語が出てきた場合、少なくとも「勤勉」という言葉の意味を定義した上で、完全にランダムで抽出された400人の日本人にアンケートを取って過半数に当てはまってなければ傾向性ですらなく、個人を判断する根拠にすると単なる思い込みの決めつけで無責任になる。
「日本人は勤勉だ」
「勤勉な日本人がいる」
「あなたは勤勉だ」
これらは圧倒的にすべて異なる事象(ちなみに社会人で毎日勉強してる日本人は1割もいない)。老若男女、健康・障害・病気、貧富、何にでも言える。人間社会の問題は、個人でも組織でもすべて矛盾が原因で起こってるから、嘘をつくこともそれを後押しするのも問題を増やしてるのと同義。統計的視点を持つのを心がけて、真実が不明なら早計な判断を控えて「中立」を保つのが最適解。これをネガティブ・ケイパビリティという。 - 前提・目的・定義を再確認する
誰かの味方になるということは、自動的に誰かの敵になるということ。判断を間違えると、完全に味方だったはずの人々を敵に回し、信頼を失う。なかなか後戻りできるものではないから、関与する人間全員の言葉や行動の前提・目的・定義をあらかじめしっかり再確認することが必須。それが十分できなかったり、余裕がない場合は、安易に敵・味方を作るべきではなく「中立」を貫くのが最適解。これをネガティブ・ケイパビリティという。
明らかに実害を伴う敵意や悪意を持った人たちも、それは社会の仕組みの因果によって起こったエラーだから、人間同士で思考停止して敵・味方にわかれるんじゃなく、なるべく「原因は仕組みであって人間ではない」という事実を理性に留めておくと、メシア症候群は発動しない。
メシアムーブをせずとも、自分が自分としてありのまま頑張って生きてるということだけが適切に愛される絶対条件だと知っておくことでも、衝動性や義務感や焦燥感も抑えられ、適切に人に優しくできるようになる。
まとめ
ミュンヒハウゼンとメシア、自尊心を失った2つの症候群による炎上について解説しましたが、人間社会の全問題(不景気・差別・偏見・自殺・犯罪・冤罪・戦争)が、個人の自尊心の欠如(=矛盾)によって生じてるから、誰もが他人事じゃない。
日本の、
- GDP 4位
- 幸福度 51位
- 自己肯定感 最下位(G7中)
- KAROSHI(過労死)は日本独自の言葉
- 残業時間は米国の約2.5倍
- 親が子どもと過ごす時間は米国の約30%
- 70年続く経済成長率の右肩下がり
- 50年続く少子高齢化
- 30年続く実質賃金の低迷
これらのデータだけを取ってみても、個人の存在という希少性最大の資源価値を蔑ろにするから、搾取・利用・淘汰という「人間の道具化・手段化」が起こり、精神論と根性論と同調圧力では頭打ちになってしまっていて、ミュンヒハウゼンやメシアの気質を持つ人を生み出してしまってるとも言える。(個人の感想です)
目的であるはずの「生産と成長」を放置して、手段であるはずの「比較と競争」を目的にしてしまい、苦労の美化で足の引っ張り合いをして共倒れを目指してるようにも見える現代の日本。
- 多様性に富むほど種は存続する 遺伝子学
- 適者生存より利他的共生で進化する 生物学
- 劣悪な環境では認知機能が認知症なみに下がる 生物学
- ストレスホルモンが出続けると心身を病む 生理学
- 幸せな人生の重大要素は信頼し合える人間関係 発達心理学
いろんな分野から見ても、個々のポテンシャルを最大に発揮させるにはゼロベースで愛して、人との繋がりの中で内発動機による利他行動を起こして、感謝のフィードバックを得ることが最適解とわかってる。これが社会問題の加害者も被害者も減らしてハッピーを増やして成長にも直結する。この事実が常識になるまで国全体で見れば何世紀かかるかわからないけど、足がかりとして、これを見てるあなたも「あなた自身」をまるごと愛して褒めて称えてあげよう。それが最大の社会貢献でもあるし、本人と身近な人の全員の幸せを増やす。
出典
▼紹介動画
映画『RUN』 Amazonプライムビデオ
The Trouble With Mom – ‘Munchausen’ – VICE Shorts YouTube
▼関連資料
自らに負わせる作為症 MSDマニュアル プロフェッショナル版
「170以下は人権ない」で大炎上した彼女の現在 東洋経済オンライン
Country rankings – World Happiness Report 国連
国際比較 文部科学省
生活時間の国際比較 連合総研
第1節 我が国における賃金等の動向 厚生労働省
我が国の人口について 厚生労働省
経済成長率の推移 社会実情データ図録