whataboutism
棚上げと論点のすり替え
これまで生きてきた中で
「僕が間違ってんのかな?」
「僕がおかしいのかな?」って思うような状況に
なった時が何回もあって
それは今思えば相手が棚上げと論点のすり替え
っていうのをしてたからなんですよ
例えば人をボコボコに殴ってる人がいたとして
その人が「暴力はいけません」って言ったとする
で
「いやいやお前めちゃめちゃボコボコに人殴ってる
やんけ どの口が言うねん」って思うじゃないですか
でもこれは
やってることは間違ってるけど言ってる事は合ってる
っていう話なんですよ
なので
その話してる内容は合ってるから
行動は議題に上がってない
これがwhataboutismなんですよ
もっと具体的に言うと
スピード違反
高速道路で殆どの車が制限速度を超えて運転してて
ビュンビュンみんな飛ばしてる中で
運悪く自分だけが覆面パトカーに捕まってしまって
止められた時に
「みんな飛ばしてるやんか」
「みんなも検挙しろよ」って言う
っていうのは
自分がしたことと矛先を変えようとしてる
論点と違うことを言う
論点をすり替えて自分のことは棚に上げる
っていうのをwhataboutismって言うんですよ
やっぱりこういうことをすると話が前に進まないし
何の解決にもならないし
時間だけが食って平行線でってなっていくし
労力がどんどんかかるしっていうので
要は建設的・効率的な会話をするつもりがない人間
まあもちろんその時々によって
例えばスピード違反の話だったら
たまたますごく急いでて
忙しくて余裕が無くてみたいな感じで
whataboutismをしてしまう人もいるんですけど
けどそれって結局より時間を取られてるだけだし
より労力がかかるだけだし
何も得することがないんで
って考えると
whataboutismっていうのをするのもそうだし
されるのもそうだしなんのメリットもないんですよね
なので
関わる人間関係の中では
そのwhataboutismってする人とはあんまりこう
ちゃんと話をしようとしないことが大切だし
自分自身も棚上げとか論点のすり替えになってないか
っていう振り返り
自問自答っていうのをしていくことも大切です
という話です
はい
まあでも昔はね
『おもちゃをねだる』とか
「なんかゲーム買って」とかって
例えば子どもが親に言う時も
「みんなが持ってるから」とか
「みんながやってるから」とか
っていうのもwhataboutismになるんで
多分小さい頃はみんなwhataboutismをやってた
今は大人になってますから
責任転嫁とか他力本願っていう思考をしてると
あんまり物事は建設的には進まないんで
その辺はやっぱり気をつけていったほうがいいなと
思います