ブロガーの性(さが)に困惑

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自分の思考整理や備忘録を書くための次のプラットフォームを、決めるまでの繋ぎとして独自ドメインのこのブログを使ってるけど、数記事投稿してみた結果、どうも書き方が対外的になってしまう。

自分用なんだから改行や文字装飾なんて要らないし、読んだ文献や書籍のリンクなんてのも要らないはずなのに、気づいたらググってコピペしてスクショしてキャプションつけてる……ブロガーの性だなと思う。というか、独自ドメインがゆえにそういうムーブを取ってしまうんだと思う。特に自分の名前をドメインにしてるから責任を良くも悪くも意識していて、中途半端な情報は載せられないという意識が、前身のブログから強烈。

前身のブログ記事なんて、エンタメ以外は基本的に「情報ソースは論文」と決めてたくらい、発信する責任を重要だと思ってる。そりゃ最悪、人の命を左右するんだから重要なんだけど、世の中で「専門家」と言われてる人たちでもおおよそ8割はそこまで考えてないという不思議な現象があって、モヤモヤする。

対外的なアクションの数々が自分のリソース食ってるのがもう嫌だから、データが飛んだのをいい機会にブログをやめようと思ったけど、脳内を整理するためのアウトプット場所ってのは必要で、じゃあスマホのメモ帳でもボイスメモでもGoogleドキュメントでもいいじゃんって思われるかもしれないけど、データを(脳に)抱えたくないからアウトプットしたいはずなのに、依然としてデータを(スマホやPCに)抱えることになるのが、結局は自分の手(ストレージ)を離れていないという矛盾した感覚を孕む。

要はSNSやYouTubeなどの無制限かつ自分の手を離れてるプラットフォームにアウトプットしたいんだけど、そうなるとコモディティ化して薄まってしまう。価値のある情報はちゃんと価値を付加・維持した状態で置いておいたほうがよくて、その塩梅が難しいなと思う。

独占と開放、内向と外向、対内と対外を成立させようとするから若干ダブスタが起こってるんだけど、枠組み(箱)がしっかりできてれば共存は可能。その箱作りが諸事情でまだできてないけど見切り発車してることが、ブロガーもとい発信者の性が先行して困惑してる理由。(書きながら気づいて自分の中でまとまった)

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