今回のテーマは
セルフイメージ=フィクション
セルフスティグマを捨てて
セルフネグレクトをやめて
セルフエスティームを取り戻せば
一生幸せはブレない
っていうタイトルになってますね
セルフイメージって聞いたことありますかね
なんかね
自己啓発系とかスピリチュアル系のみならず
ビジネス界隈 経営界隈みたいなところでも
セルフイメージっていう言葉を聞くようになって
きて
ちょっと危惧してるなと
由々しき事態だなと
個人的に思ってるっていう話ですね
セルフイメージというと
どういうイメージでしょうか
そのまま自分の像
自己像みたいな感じなんですけど
訳すと自己像なんですけど
セルフイメージという言葉でイメージするのって
どんな感じですかね
多分もやーっと漠然と曖昧な感じだと思う
よく「※写真はイメージです」とか
「※画像はイメージです」みたいな使われ方を
するじゃないですか
「イメージ」っていう言葉が
なので
イメージっていう言葉そのものが曖昧で
漠然としてるんですよね
漠然としているとか曖昧っていうと
フィクションなんですよ
自分の中の自分へのイメージ
言い換えると雰囲気みたいなものなんですけど
すごい曖昧じゃないですか
フィクションみたいなものなんですよね
現実とちょっと乖離があるというか
なので
そのセルフイメージというものに重きを置いて
現実と照らし合わせちゃうと矛盾が生じちゃう
なぜならイメージだから雰囲気だから曖昧だから
漠然だから
現実っていうのは明確で厳然とそこにあって
物理法則とか物理現象とかそういうのがあるんで
セルフイメージというものに着眼しすぎると
現実でちょっとうまくいかない
みたいなところがあるんですよ
現実をうまくいかせたいから
「セルフイメージを高めよう」とか言ってるのに
セルフイメージに着眼した途端
現実がそもそもうまくいかなくなるなんて
本末転倒じゃないですか
という意味で由々しき事態やなと思って
ちょっと警鐘を鳴らしておこうかなと思って
この動画を撮ろうと思ってます
大事なのは
セルフイメージはフィクションだから
フィクションを現実に持ち込んではならない
ということなんですね
何が重要かって言ったら
さっき言った現実とか現象とか
物理的な本当に存在することですよね
現実っていうのはまさしく
本当に存在している連続ですから
日々の
今日 明日 明後日と
いま自分が生きている目の前に広がっている
視界にあるもの
すべては物とか事象であったりしますから
現実・真実・事実というものが一番重要
人生の中で「仕事がうまくいってない」とか
「恋愛がうまくいってない」とか
「経済的に問題がある」とか
なんだろう
「病気とか障害があって生きづらい」とか
いろいろあると思うんですけど
それ全部現実じゃないですか
事象 事実 物理現象だったりしますよね
心の問題といっても脳の問題ですから
シナプス信号とかニューラルネットワークとか
ぜんぶ生理学的な問題ですから
ぜんぶ物理とか事実現実なんですよね
なのにスピリチュアルとか自己啓発以外の所で
ビジネスとか経営とか
そういうところでもセルフイメージっていう言葉
が使われだしてて
いやいやいや
それ現実からどんどん遠のいていってる
雰囲気だから曖昧だから漠然だから
っていうことですよね
危険だよってことですよね
だからまず何を見るべきかというと
先ほど言った現実
ファクトなんですよね
ファクトフルネスって聞いたことあるかもしれ
ないですけど
ファクトフルネス
マインドフルネスとか
ファクトフルネスとか
なんちゃらフルネスといろいろありますけど
大事なのは
ファクトフルネスとマインドフルネスですね
マインドフルネスも別にスピリチュアルじゃなく
これはNASAの宇宙飛行士も取り入れている
ヨガから宗教性を抜いたマインドセット
マインドコントロール
セルフコントロールする方法として
マインドフルネスというのがあるので
全然これはスピリチュアルじゃないんですよね
なのでファクトフルネスとマインドフルネス
この2つのフルネスが重要
セルフイメージは重要じゃない
ということですね
ここを押さえておいた方がいいです
ファクトフルネスとマインドフルネスは有用
重要です と
その上でセルフイメージというものの本当に表現
したいこと
一般的に言われるセルフイメージというものが
何を表現しようとしているのかというと
恐らくアイデンティティのことだと思うんですよ
自己像ね
本当の自己像=アイデンティティなんですけど
自分は何者であるか
自己同一性とも言いますね
自分は何者であるのか
自分とは何なのか
自分の意味とは価値とは
人生とは生命とは時間とは
未来とは過去とは
そういう漠然とした形而上学って言いますけど
実際に確かにあるけれども
目には見えなくて
手でも触れられないような事柄
でも存在はしているみたいなことを
形而上学って言って
自己もそのうちの一つに入ってくる
自己同一性=アイデンティティですよね
それを簡単にしたつもりになってる言葉が
セルフイメージなんですよね
でも全然意味としては本質は違ってて
ここが解釈を間違えて…
根元で解釈を間違うと
その行き先ではすごい角度が全然違ってくる
スタート地点で進む角度が違うと
その先では大きな開きがあるっていうのと一緒で
やっぱり本質的には全然違うことを表現しちゃっ
てるんですよセルフイメージっていうのは
だから実際は
❌️セルフイメージを高める
⭕️アイデンティティを確立させる
っていうことがするべきことなんですよ
タイトル回収ですけど
そのために
①セルフスティグマを捨てて
②セルフネグレクトをやめて
③セルフエスティームを取り戻す
こうすることで一生幸せがブレない
なんなら死してなお幸せがブレないぐらい究極
ここが大事になってくる
一個一個説明していくとすると
まずセルフスティグマ聞いたことあるでしょうか
セルフスティグマ
これは自分への偏見とか差別のことですね
自己差別 自己批判
自己偏見とか
そういうんですけど
セルフスティグマをまず捨てる
どういうことかっていうと
セルフイメージという言葉を流用して説明すると
「セルフイメージを高めたい」という人たちは
セルフイメージが低いんですよね
自分にとっていいイメージを持っていないという
ことじゃないですか
雰囲気ですけど
曖昧ですけど
なんでいいイメージを持っていないかというのが
セルフスティグマがあるからなんです
偏見とか差別を自分に対してしてしまってるから
いいイメージがない
なんでそう言い切れるかっていうと
何事も「証明」するのって難しくて
例えば「自分なんて価値がない」とか
「自分なんてまだまだだ」とか
「どうせ自分なんて」みたいな考え方を
日本人のほとんどはするんですけど
何%?
「自分に自信があると答えれる日本人」は3割
4割ぐらいしかいないらしいんで
過半数以上はさっきの「自分なんて」っていう
マインドが多少なりともあるんですよね
それを証明できますか?っていう話なんですよ
証明するのって難しいんですよ
100%そうであると断言する
誰が見ても誰が考えても
100人いたら100人がそうだと思う
思うっていうか事実であるっていうことを
証明するのって難しいんですよ
例えばそうだな
ルッキズムで
表面至上主義社会ですから
例えば僕が不細工…平均点ぐらいやとするじゃ
ないですか
「自分は不細工やから人に好かれるわけがない」
とか思ったりとか
学校の勉強で50点しか取れないから
自分は人より秀でたものがないとか
「特筆すべきところがない」とか
「だから価値がない」って思うっていうことを
証明できるかって話なんですよね
これがセルフスティグマなんですけど
例えば同じような容姿
同じような能力
同じような境遇の人が
自分以外にいたとしましょう
いるんですよ絶対
この世の中には80億人 人間がいるわけですから
何千万人 何億人ぐらいは自分と同じとか
境遇・能力・容姿とか
そういう付加価値的なところの部分で被ってる人
なんていうのはごまんといるわけで
自分に対して差別偏見を持つ=ダメだ価値がない
って思うということは
同じような人たちに対してそう思ってる
ってことなんですよね
そこで
「いやいや人にはそんなこと思ってなくて」
「自分に対して思ってるんだ」っていう人がいる
と思うんですけど
それがセルフスティグマなんですよね
だけど
「人に対して価値がないと思ってるんじゃなくて
自分に自信がないだけです」って言ってる人も
それがだから差別やっていう話なんですよ
二重に差別してるってことなんですよね
自分は何か違う生き物だと思ってるってことじゃ
ないですか
人間は人間でしかないし
聖書かブッダかは忘れましたけど
人の上にも下にも人を作らずみたいな
言うじゃないですか
人間は人間でしかないから
自分と人の存在価値みたいなものは不変
変わらないわけですよ
それが大統領であれ首相であれ
トップアーティストであれ金メダリストであれ
何も変わらない
だけど
「人を悪く言ってない、自分だけ悪く言う」
っていうのは差別じゃないですか
「自分のことを悪く言わず人を悪く言う」のも
差別じゃないですか
なので
自分を悪く言いがちな人はセルフスティグマで
自分に偏見があって差別があるってこと
人に対してはあまりそういうことを言わないと
思うんでね
セルフスティグマがある人っていうのは
人のいいところを見つけたりとか
褒めたりとかっていうのが得意な人ほど
いや自分なんてダメだって思いがちで
それはセルフスティグマで
差別と偏見なんだよってことですよね
このセルフスティグマを「捨てる」っていうのが
どういうことかっていうと
元々セルフスティグマなんて持ってないんですよ
人間って
人間の中で
自己肯定感が一番高いの赤ちゃんなんですよね
赤ちゃんなんか生まれてすぐ目も見えないし
自分で動くことすらできないし
ただおしっことう◯こを垂れ流して
ミルクを飲んでるだけの役立たずですよ
役立たずやのに赤ちゃんは
「自分なんて」とか
「まだまだだ」とか
「ダメだ」とか思ってない
じゃないですか
なんなら泣き叫んでうるさい声を出して
3000Hzとか4000Hzのものすごい耳に不快な
泣き声でギャン泣きして
自分が不満だら不快だったら
ものすごくそれを主張するじゃないですか
何も役立たずなのに
あれは自己肯定感がMAXやからなんですよね
人間は生まれながら自己肯定感がMAXなんですよ
MAXで生まれてきて
そこにスティグマ
差別偏見というのを環境から積まれていく
蓄積されていくんですよ
なのでセルフスティグマは最初はセルフじゃない
環境からそのスティグマ差別偏見というのが蓄積
されていって
それがいつしか洗脳とか呪縛になって
自分が自分へ差別偏見するセルフスティグマに
なってしまう
積み上がっていってしまう
だから環境から積み上げられたスティグマと
それによって自分が自分へ積み上げたスティグマ
っていう2つあるんですよね
2つとはいえど
まずは自分へのスティグマを捨てなきゃ話になら
ないんで
そのスティグマを捨てていく
最初なかったものを
元々なかった状態にするだけなんで
セルフスティグマをまず捨てなきゃいけない
捨てる必要がある
いまちょっと復習すると
セルフイメージっていう自己像ね
自分っていうものへのイメージを良くするとか
高くする
=アイデンティティを確立していく
自分っていうものを理解していくとか
自分とは何者かとかっていうのも理解していく
っていうのは
まずセルフスティグマというものを捨てる必要が
あるよ
自分への差別とか偏見っていうのは
自分だけがどうのとか人だけがどうのっていう
その違いっていうのは本来ないわけだから
人間は人間でしかなくて
人間の上に人間を作らないし
人間の下に人間を作らない
だから
「自分は良くて人はダメ」とか
「自分はダメで人は良くて」っていう
そういうことなくて
存在価値としては平等なんだよっていうこと
なのでまずスティグマを捨てる
自分以下も自分以上も
能力的 容姿的 環境的にはいっぱいいるから
そんなことを比較したら
比較してるだけで一生が終わっちゃう!
意味がないから
セルフティグマをそこで捨てる ですね
次の段階がセルフネグレクトをやめる
セルフネグレクトっていうのは幸せの放棄ですね
自分を幸せにしようとすることの放棄
もっと言うと
不幸を減らそうとすることの放棄ですね
不幸っていうのは辛い痛いしんどい苦しい悲しい
寂しいとかそういう感情ですけど
出来事ではなくて自分がそう感じていること
何にそう感じるかは問題ではなくて
自分がそう感じていることそのものが不幸である
その不幸を減らそうとすることをやめるのを
セルフネグレクトって言うんですよ
不幸と幸せって延長線上と表裏にあるものなんで
数直線で表した時に
不幸が-100で幸せが+100だったとしたら
-を+に変えていこうとする意志力だったり
不幸の裏にある対極にある幸せに気づこうとする
努力だったりとか
あとは例えば
DVをするパートナーとずっと暮らし続けて
そこから抜け出そうとしない
援助希求能力がゼロになってるってこと
不幸を減らして幸せを増やそうとする意思の無さ
がセルフネグレクトなんですよね
自分を放棄しちゃう
延長線上にはお風呂がめんどくさくなったりとか
ご飯食べるのがめんどくさくなったりとか
お出かけするのも億劫になったりとか
なんだろうな
日常の中で笑顔になれることとか
なんだろう
まったりできるとか
穏やかになれることを見つけようとしなかったり
だとかっていう
どんどん雪だるま式にネガティブみたいなものが
増えていってしまう
爆増していってしまう
指数関数って言うんですけど
+1+2+3+4って
ネガティブが1ずつ増えるんじゃなくて
1→2→4→8→16→32とか
どんどん倍々になっていっちゃうんですよね
これがまずいよね
なのでセルフスティグマさっきの自分への偏見と
差別をまず捨てて
優れてるも劣ってるも
存在価値としてはないんだよ
っていうので
相対価値
比較によって優れてる劣ってるとか言い出したら
結局言ってるだけで一生終わっちゃうよっていう
なので
自己差別 自己偏見というのは意味がないし
自己批判も全く意味がないから
それを捨てていこうね
元々は環境から植え付けられたスティグマだけど
それによって自分から自分へのスティグマを蓄積
してしまったからまずそれを捨てて
じゃあ何しなきゃいけないかっていうと
不幸から抜け出すこと
不幸を減らすことと幸せを増やすことを諦めちゃ
いけなくて
それを放棄しているのを取り組んでいくようにし
ていくってことですね
セルフネグレクトをやめる
不幸を減らしていこう
幸せを増やしていこう
何が不幸か何が幸せかっていうのは人によって
違うし感情を抱くきっかけが違うってことだから
そこは自分でジャッジしていかなきゃいけないん
だけど
セルフネグレクトはやめようねっていうこと
「幸せは人それぞれ」といっても
定義としては幸せは希少性の実感というのがある
んですけど
今日は割愛しておきます
次
セルフエスティームを取り戻す
これができたら一生個人の中の幸せというのは
ブレないですよということですね
セルフエスティームというのは
よく言う自己肯定感とかそういうことですよ
自己価値観とか
自己肯定感とか自尊感情とか
そういったものなんですけど
自分を尊いと思う気持ちだったりとか
自分に対しての存在に100点を出せる
できることできないこととか
優れてるとか劣ってることではなくて
自分が今存在してますよっていうことに対して
OKを出せるっていうのを自己肯定感って言います
その上で自分に価値があるなって思ってるって
ことだからそれも自己価値感っていうし
っていうそのまとめて
ひっくるめてセルフエスティームって言います
このセルフエスティームをどうやって取り戻すの
かですよね
これ一番難しいですよ
今までの自己差別・自己偏見を止めるとか
セルフネグレクト
幸せの放棄とか
不幸を減らすことを放棄するっていうのは
習慣で気をつけたら改善できそうな気もします
けど、
セルフエスティーム
自己肯定感 自尊感情 自己価値感を取り戻す
っていうのはこれどうしていくのっていう話
でもねまず
セルフスティグマを捨てて
セルフネグレクトをやめて
っていう時点で
マイナスをゼロに近くはできてるんですよ
世の中っていうのは
陰と陽 善と悪 ポジティブとネガティブって
分かれますけど
ネガをゼロにするだけで
あとはほっとくだけでポジティブに向かうんです
普通に
人間ってそういうもんなんですよ
人間ってというか
これもエントロピー増大の法則っていうのがある
んですけど
なんでも現実世界で+1
生じたものっていうのは
増えていくんですよね
増えていくし拡散していくんで
マイナスっていうものが1でもあると
それが-1-5-10とか
-20-30とかなっていってしまうんですよ
カオスになっていってしまうから
マイナスをなくすっていうだけでも
すごく大きい一歩なんですよね
セルフエスティームっていう自己肯定感とか
自尊感情みたいなものを取り戻さなくても
「意識的」に取り戻そうとしなくても
それまでのセルフスティグマを捨てて
セルフネグレクトをやめた段階で
勝手にセルフエスティームを取り戻せていく
これ重要ですね
それを加速するには学びが必要なんですけど
それが認知科学だったりとか発達心理学とか
行動心理学 統計学とか
そういったものになってくるんですよ
このチャンネルではそういったことも
ちょこちょこ発信したりとか
2023年から2024年の最初らへんまでやってた
ライブ配信中に雑談の中でそういう話をしたりし
てたんですけど
最近はちょっとできてないですね
これすごくパーソナルな話をしてますけど
全然自己で完結するような話ではないんですよね
皆さんが一人一人が自分っていうものの中で
完結する話ではないんですよ
しかも精神論でも根性論でもないんですよね
これって要は国益を損なってるっていう話
なんですよ
なんていうかな
ここからはちょっと余談なんですけど
日本の経済的にちょっと落ち目になってきてて
このままいくと人口も減少していってて
国力も下がっていって
ちょっとずつちょっとずつ
日本っていうのは貧困とまではいかないけど
ちょっと貧しくなっていくよね
The 先進国のトップ争いから
ちょっと外れていっちゃうよねっていう段階に
差し掛かってて
その未来はもう見えてるんですよね
これが何で起こってるかっていうと
結局その豊かさを維持してた手段に間違いがある
あんまり詳しくは言いませんけど
それぞれ日本人って自己肯定感が低いんですよね
統計的にね
アメリカ人の半分ぐらいって言われるんですけど
自分に自信がある人がいない
やってることそのものは
そこそこすごいことをしてたって
自分に自信が持てない
「まだまだダメだ」
「自分なんて」っていう人が多い
ってことはですよ
そもそも精神論・根性論だけで
「死なばもろとも」な精神で
日本人ってこれまで栄えてきたんですけど
それが頭打ちに来てるんですよね
アメリカなんかはロシアとの人工衛星の打ち上げ
競争で一回アメリカがロシアに負けてて
1956年かな
その頃から「すごい優秀な人をいっぱい出そう」
みたいな話があって
国策として優秀な人をどんどん輩出していこう
っていう風に舵を切ったんですよアメリカがね
今からだから70年近く前の話ですよ
でも日本はその競争をしていなかったというか
そこまで熾烈な競争をしていなかったから
是が非でも優秀な人を出そうとか
功績を上げるような人材を輩出しようという
ところに国を挙げて来なかったんですよね
なので出る杭は打たれるとか言いますけど
そういう空気が
諸外国よりもちょっと強くなってしまってるって
ことなんですよ
だけど発達心理学 教育心理学的にも
生理学的にも
内発的な動機づけと利他的な動機づけによって
人間のポテンシャルが最大に発揮される
ということが証明されてるんですよね
要はやりたいことをやりたいだけやる
それが人のためになったりとか
人に感謝されたりとかする
しかも安全な状態が担保されることによって
それが成し遂げられるんですよね
めちゃめちゃ簡単に言うと
存在だけで100点を出される
あなたがあなたであるだけで素晴らしいんだよ
存在価値なんだよ
唯一無二なんだよ
っていうような環境の中で
やりたいことを突き詰めてやって
思いのままに好きなことをして
何かにハマったり没頭することによって
その道である種突出した成果が出たりとか
功績を残せるっていう
もう仕組みが確定してるんですよ
脳みその仕組みとしても
人間の行動心理としても
繋がってきたでしょ
セルフイメージっていうちょっと曖昧で漠然と
したような言葉からずっと話してきましたけど
あなたでも僕でもそうですけど
日々の生活の中で不幸を減らして幸せを増やして
いって
何ができようが何ができまいが
人より何が優れてようが劣ってようが
クズだろうがポンコツだろうが
唯一無二の価値なんだよ
それでいいんだよっていうまずその環境を作る
っていうことがそれぞれ
僕やあなただけじゃなくて
家族とか友達 恋人とかその他
なんだろうな
仕事場の同僚とか
先輩 上司 部下とか
そういう人たちのためにもなるんだよ
でもそれが許されない環境=間違えてる
その間違いをずっと続けてきたから
日本がちょっと右肩下がりになってるよ
っていう全部繋がってるよっていう話ですね
あんまり詳しく言い出すと講義になっちゃって
何十本もの動画になっちゃうんで今回はこの辺に
しておきますが
いかがだったでしょうか
セルフイメージなんて曖昧で漠然とした言葉に
惑わされないようにしてください
セルフイメージはフィクションですから
フィクションを現実に持ち込むんじゃねえ
アイデンティティです
やらなきゃいけないのはアイデンティティの確立
アイデンティティをしっかり理解していく
自分というものを理解していく
それが大切
ファクトフルネスとマインドフルネス
事実・真実に目を向けていく=ファクトフルネス
マインドフルネス
今に集中する!
人間は生まれてから死ぬまでずっとずっと
今この瞬間を生きてますから
もちろん未来のことを考えたり
過去のことを思い返したりとか
復習とか反省とかしながら
希望を持って生きていくものなんですけども
「意識」としては人間というのは生まれてから
死ぬまでずっと今この瞬間を生きてますから
ここに着眼して
ここに集中する
というのをマインドフルネスと言います
もちろんね
映画を観たりとか漫画を見たりとか
アニメを観たりとかキャンプ行ったりとか
旅行行ったりボルダリングしたりとか
そういう息抜きとしての現実逃避だったりとか
全然OKなんですけど
混同しちゃいけないってことですよね
フィクションを現実に持ち込まない
現実をフィクションに持ち込まない
これは認知の歪みって言って
あんまり人生が良くない方向に行っちゃうから
なのでマインドフルネスとファクトフルネス
セルフイメージよりもアイデンティティ
そういう感じで参考にしてもらったら
いいと思います
ということで
何か新しい価値に気づいてもらったらいいなと
思います
関連動画が動画の詳細欄にあるので
気になる人とか
もうちょっと深堀って知りたいなと思う人は
ご覧ください
それではまた別の動画でお会いしましょう
ごきげんよう