ギフテッドの上手な褒め方はプロセスを論理的に

ギフテッドの上手な褒め方はプロセスを論理的に、です
やっぱり褒め方とか叱り方もそうですけど
すごく難しくて
なんだったら叱り方よりも褒め方の方が難しい
何かタスクがあって
それをこなしたときに結果だけを褒めた場合に
本人のやりきる能力みたいなのが下がっちゃう
モチベーションが下がっちゃうっていう研究があって
だから結果だけを褒めるってあんまり良くない
でもこれまでの日本の文化からして慣習からして
やっぱりテストで100点取って褒めるとか
そんな感じじゃないですか
仕事でもそうですよね
営業で契約取ってきたら称賛されるとか
頼んでた資料を早く提出すると褒められるとか
感謝されるとか
結果だけじゃないですか
結果を褒めるっていうのが常識ですよね
でもそうじゃなくて
プロセスを論理的に褒める方が
実はやり抜く力だったりとかモチベーションを高める
っていう論文がある
しかもギフテッドを褒める時って
”論理的”に褒めないと納得しにくい人が多くて
これは観測範囲内ね
自分の経験上だけど
自分の周りで明らかに突出してる能力がある人たち
っていうのは
どうしても統計学的な知識がない分
自分の能力が“全体”の中でどれぐらいに位置しているか
っていうことをあんまりわかってなくて
めちゃくちゃすごいことをしてるのに
「大したことないよ」って思っちゃってたりとか
やっぱり「自分なんてまだまだ」っていう
上昇志向でもあるけど
インポスター症候群っていって
「自分の能力を認められない」
「自己肯定感に繋がっていかない」という弱点がある
その人たちをほめるときに
「あっ自分ってすごいことしてるんだ」って
「すごいんだ」って
自己価値観とか自己有用感に繋がらせるためには
プロセスをどれだけすごいことをしてるか
っていうのを論理的に説かなきゃいけないんですよ
だからさっき言った叱るよりも褒める方が難しい
っていうのは
「なぜそのプロセスが素晴らしいのか」
「どんなに価値があるのか」っていうのを
理屈で説明できなきゃいけないんで
全然感情とは対極にあるような方法なんですよね
だけどそれをしないとやり抜く力だったりとか
モチベーションだったりとか
あと多幸感とか自己価値観自己有用感
自己効力感 自尊心みたいなものに繋がっていかない
しかも純粋に子供みたいに素直なギフテッドだったら
いいんですけど
やっぱり周りの環境から搾取・利用されて
純粋さとか能力とかひたむきさとかっていう
ギフテッドの情熱の部分を利用されたりし続けると
どうしても自分の中でハードルを上げ過ぎて
及第点が高くなりすぎて
自分を許せないとか満足できない状態になってるんで
大人の……成人ギフテッドの方がちょっとこじれてる
だからすごく褒め方が難しい と
100%誰もがうまくできるわけじゃないですけど
結果だけを褒めるよりかは
プロセスを褒めようとする方が有効なのかな と
なのでこれ聞いてる人で周りにちょっと突出した能力
があって でもなんか自己肯定感なくてみたいな人が
いるときはプロセスを見て
なぜそのプロセスがすごいのかっていうのを教えて
あげると喜んでもらえるんじゃないかなと思います
例えば仕事で成果を出してるとかでも
成果を出すまでにどんな努力をしたか
どんな大変なことをやってたかっていうのを
この競争比較社会なんで
「他の人はできないよ
なぜなら~」どうのこうの
みたいな
タイムスケジュールの管理ができないとか
他の人ならメンタルのキャパシティが保たないとか
なんかそういう感じですよね
具体的にぱっと思いつかないですけどいい例が
プロセスを褒めるほうがいいんじゃないかな と
子どもはね
純粋なんである程度プロセス褒めると喜ぶんですけど
大人がなかなか厄介ですね