歩くのが早い特徴はASD・ADHD説

この記事では、以下のことについて書いてる。

・家族や友達に歩くのが早い人がいて、せわしない

・自分が歩くの早すぎて、気付いたら人を置いてけぼりにしてる

・もっとゆったりしたいのにせかせかしてしまう


高速ファザー

僕は小さい頃、父親が歩くスピードについていけずに、

「もっとゆっくり歩いて」

とも言えずに、必死についていってた。

子どもやから大人の歩くスピードについていけてないだけと思われがちやけど、

他の大人にはついていけてた。

もちろん、他の大人が子どもの歩幅に合わせてくれてたってのは大いにあると思うけど、

そう考えると、父は子どもに合わせる気が全くなかったってことになる。

けど本当にそうなんかな?

時を経て大人になり、改めて父に、

「昔から歩くの早いよな」

となんとなく言ってみたところ、

「いやそんなつもりはないねんけど」

とのこと。

なにやら、同行者がついてきてるかどうかを、考えすらしなかったみたい。



蛙の子は蛙

僕自身も、10代、20代と年齢を重ねるにつれて、老若男女、いろんな人と一緒に歩く機会も増える。

もちろん、小さな子と歩く機会もあったりする。

そして、ふと気付く。

「あれ?さっきまで並んで歩いてたはずやのに、なんでそんな後ろにいるん?」

───そう、僕もかつての父のように、競歩なみの速度がデフォな歩き方をしてしまうようになってた。





Going my way

ひょんなことから、父は還暦にして、

高機能自閉症(ASD=自閉スペクトラム症のうちの1つ)

という診断を受ける。

もともと落ち着きのなかった父やから、どちらかというと、

注意欠如多動症(ADHD)

の方が強いかなと思ってたけど、予測とは違った。

歩くのが早いことと、高機能自閉症にどういう繋がりがあるかというと、

簡単に説明すると高機能自閉症は「Going my way」我が道を行く特性がある。

他の人がどう感じてるか、どう考えてるか、意識をすればわかるけど、その意識をする意志がほぼない。

だから、歩幅が小さい人が一生懸命ついてきてることをも、気に留めない。

しかも、何か目的があって歩いてる場合は、早歩きにめちゃくちゃ拍車がかかる。

なにせ、高機能自閉症は、目的達成、結果主義、プロセスは最短で……という考え方やから。

注意欠如多動症でも、せかせかして落ち着きない特性はあるけど、

例えば他の人が、

「もう少しゆっくり歩かないとついてくの大変????」

と少し声をかけてあげれば、すぐに人の気持ちに気付けるし、その日はずっと気遣える。

でも高機能自閉症は、一瞬だけ歩幅を合わせてはみるものの、10分ほど経てばまた早くなる印象。

それくらい、日々の自分の意識ベースで「我が道を行く」が定着しすぎてる。

とかなんとか偉そうに言いつつ、高機能自閉症は遺伝するから、例にもれず僕もASDというオチ。

しかも難儀なことに、僕の場合は明確にADHDもある。

”もうどうにも止まらない”状態。

あぁ~もう救いようがねぇわ……ってわけじゃなく、僕の場合は定型発達とのハイブリッドやから、

ちゃんと対策をすることで人と歩幅を合わせられるようになった。





コバンザメに徹する

気持ちが常に前のめりやから、目的を最優先して、そのために最短・最速の手段や方法を取ろうとしてしまう。

その特性が、日常の「誰かと歩く」って時にも作用して、人を置いてけぼりにしてしまう。

そこで、忘れ物対策の記事でも言ったとおり、敢えて自分自身に「障害物やトラップを自分で作る」ことによって、

一旦落ち着いて立ち止まって、自分の意識以外のところに意識を向ける「意志」を取り戻す。

人間って、意識よりも無意識の方が強いから、その無意識をどうやって意識に戻すかというと、

どうにかして我に返るしかない。

何も遮るものがなければ、どんどんどんどん猪突猛進で、行動も思考も進めてしまうから。

具体的にどうやって自分自身を遮るかというと、忘れ物対策の記事でも書いた通り、五感を強制する。

どういうことかというと、誰かと一緒に歩く時は、絶対に後ろを歩くようにして、

視界にその人が入るようにする。

そしたら、その人がたとえどんなスピードで移動してても、自分はもともと独走できるんやから、

置いていかれることはない。

ハタから見ると、一緒に歩いてる人が男友達なら「舎弟」に見られたり、

女性なら「ヒモ」とか「アッシー」に見られたり、

パートナーなら「尻に敷かれてる」と思われるかもしれん。

でも、蓋を開ければ「同行者を一人にさせまい!」という愛情でもあるし、

人からどう思われようと構わないと思えるくらいちゃんとした想いがあれば、

気にならないから、ある種自分の気持ちが試されるとこやねんな。





思考の独走(暴走)は基準を設けよう

余談として、思考の独走や暴走をコントロールする方法。

歩くのが早いってのは物理的な対策でどうにかなるんだけど、

そもそも思考が常に目的を意識してるからせわしない行動が起こるってこと。

その思考の暴走自体は、物理的には止めようがない。

だから、自分の中で「目的を意識する」って意識ベースを根底から変える必要がある。
※改善したい場合の話ね

どういうことかと言うと、日々の生活の中で「圧倒的に最優先に考える物事」を決める。

もし愛するパートナーが居たり、コレなしじゃ生きられないってくらいハマってることが

あるんやったら、もう何もかもの判断基準をその一点に絞ってしまう。

仕事をしてようが、遊んでようが、誰といようが、

「自分にとって圧倒的に重要なのはその一点なんだ!」

っていう刷り込みを脳にしとけば、思考が暴走することがなくなる。

もし独走・暴走してしまいそうなときでも、ダメ押しで、

人に声をかけてもらったりアラームで時間を制限したりっていう対策を

取ってれば、すぐに軌道修正できる。

経験上、このやり方が一番自分の脳をコントロールする上で有効やから、

試してみてはいかが。





結果を背負いし者は遥か果てを走る

なんやかんや書いてきたけど、

「誰を置いてけぼりにしようが関係ねぇ」

くらいに我が道を行く精神が極まった人なら、

なんも気にせずそのままひた走ればいいと思う。

子どもがはぐれても、パートナーに愛想を尽かされても、

協調性や思いやりのない奴だと人に罵られても、

世の中には「それでも離れずにいてくれる人」が居るのも事実。

少しは人の想いに応えたほうが、ハートフルでエモい人生にはなるけど、

自分が選択した結果を絶対に悔いずに背負えるくらいに自己理解して

受け入れられるなら、誰に気を使うこともなく突き進めばいいと思う。

僕はそこまで強くはないから、歩行も人生も、

隣に人が居たら歩幅を多少合わそうとするけど、

そもそも決定的に価値観やポテンシャルが違うから、

自分と他者は完全に異なる生き物やと捉えることで、

腑に落ちてる感じ。

理解を望み合うより、心を思い合える関係性を誰とでも築けたら、

それが一番なんだけどね。





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