資本主義の不完全感を払拭できた備忘録(嫌儲対策)

結論から書くと、

資本主義経済=「欲を満たす能力が欠如した者」の欲を満たす代行者が富み、再分配される仕組み

能力の欠如は、先天的、後天的、一時的、問わない。

体・心・時・金、これら4つのリソースにまつわる、

不便、不快、不調、不満、不足、不安、

などの「不」を改善するのがビジネス。

不がある=能力ない=ハンディ

不便、不快、不調、不満、不足、不安───これらの不を抱える人は、その時点で「自分で不を改善する能力がない」ということ。

能力がない、つまり、障害=ハンディを抱えてる。

「ハンディがある人を、赤の他人でも助けよう」ってのが経済。

その見返りとして、一番イージーで万能な金があるという仕組み。

「助ける」はエゴじゃない

「助ける」って聞くとちょっと見下してるようなエゴのイメージを持って罪悪感を抱く人もいるかもしれんけど、

  • 赤子のおもり
  • 他人の介護
  • 障害者の介助

これらをすることに煩わしさはあれど、これらをすること自体が見下す行為だなんて思う人はまあそうそういないはず。相手に能力がないとわかりきってるから。 絶対に必要だとわかりきってるから。

「助ける」という行為を、見下すと捉えたり、罪悪感を抱くのは、能力の乏しい相手に努力させようというマニピュレータ思考。

無償=近視眼的&残酷

無償で人の「不」を改善するのは最も近視眼的で残酷。

「無償で他人を助けるのが一番善行」と思う人は、相手がテイカーなら搾取・利用されて枯渇して善行を継続できなくなる。近視眼的。

マッチャーやギバーに対しては「金以外の対価」という一番難しくて複雑な選択を迫ってるから、マニピュレータ思考で、残酷。

たとえ心からの善意で無償で他人の「不」を解決しても、相手は返報性の法則でお返ししたくなる。なのに無償だと、感謝や贈り物などお金じゃない何か別の選択肢を相手に考えさせることになって、圧倒的に手間をかけさせて残酷。

もちろん施しを嫌がる人もいるし、だから余計にお金を払わせてあげることですべてイージーになる。

一人も漏れなく障害者

何かを満たす能力がない人は、満たす能力ある人にとって障害者であり赤ちゃんであり要介護人。

  • 歩く、掴む、食べる、話すなど身体能力
  • 考える、覚えるなど知的能力
  • 容姿を磨く能力
  • 優しくする能力
  • 稼ぐ能力

↑わかりやすい能力はもちろんとして、

  • 退屈を凌ぐ能力
  • 孤独じゃなくなる能力
  • 自分で学ぶ能力
  • 生きる喜びを感じる能力

とかも、 ぜーーんぶ同じ。

欲を満たしたり改善する能力があるかないかの話。

あらゆるエンタメも、出会い系とかも、医療も工業も産業も、突き詰めればすべてが「能力のない人を能力ある人が助けてる」という構図になってる。 まぁ、医療は、解決より共感寄りだけど。

商品やサービスの売買はもちろんのこと、

「忙しいからこれやっといて」

みたいなのだって、忙しいゆえに”これ”をする能力がない=”これ”ができない障害者ってこと。

これわかると、人間がすごいかわいくなる。

電気水道ガス食料や家も全部、0から作れない人は、作れる人から見りゃ全員障害者。バブちゃん。

「99%以上できないことだけの生き物」が人間。みんなバブちゃん。みんなかわいい。

一人も漏れなく、誰かから見りゃなんらかの能力のない(乏しい)障害者。

まとめ

足らない能力の埋め合いを他人でも気兼ねなく金でできるようにってのが資本主義経済であり本質。
矛盾のない完璧な仕組みだし、現状で機能してると言える。年収600万未満の人は、受けてる税金の恩恵の方が大きいから。

自身がこれまで重要視してきた本質的価値や絶対的幸福の獲得、心身の病気の寛解や根本原因なんて、観測範囲内のデータと体感ではIQ120~向けの知恵。しかもフルで思考して学んで会得に何ヶ月もかかるぽい。しかもなかなか維持できないみたい。

んなムリなことを人に説いても期待しても強いても互いに徒労。

腕のない人は殴れないし足のない人は走れないのと同じ。

みんな漏れなくできないことばかりの重度障害者。だからみんなで助け合おう。自分ができることでできない人を助けよう。

ただそれだけのことだったんだなあ たーを

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余談として、人よりもできることが多い分、何したらいいか悩むのがマルチタレントのギフテッドなんだけど、それこそ本当に自分がしたいことを1つでも複数でもいいから100%自由にやるのが最適解。

寄り道、回り道をしまくってもいいし、亀さんスピードでもいい。

そのプロセスで「助かる人」が必ず出てくる。お金を払いたいって人が出てくる。必ず。

大切なのは、自分のしてることの意味や意義とか価値とか考えないこと。

もし自分のしてることを否定してくる人が居たら、その人達は「肯定する能力や価値を見出す能力のない障害者」だから、関わってその人達を助けてあげられないなら、かわいそうだけどそっとしておいてあげるしかない。

「価値を見出す能力」はお金に換算するとかなり高額な能力(4000万円~だから、皮肉にも長年この能力がない人には払えないし。
※大卒までの教育費用+しっかり学ばなかった16年分をショートカットするコンサル料

そして、「何もしたくな~~~い!」って人は、それが一番したいことなら堂々と何もしなくていい。

リソースがたまったら勝手に何かしたくなるから。

自由に、気楽に、朗らかに、心健やかに、テキトーに、生きればよいんだーよ~。

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