下記ツイートの補足記事。
え、ようつべ、そゆこと?
パブロフの犬?つまり構造としてエンゲと捉えればいいのか。
実はプラスもマイナスもなくて、見た感じは分かれてるけど実はアルゴリズムからしたら視聴数や維持率と完全に同じ、ただのエンゲ率を測るパラメータでしかない。うわぁ……めっちゃ残酷やん……かわいそう……
— たーひと (@taahito3) September 19, 2023
- 相手がほしいと思うものごとを売るのが商売
- 相手に必要なものごとを「自覚」させるのはどちらかと言えば教育
これまでの自身の抽象度を、限界突破して、より大枠の構造から明細な具体を俯瞰して見えてきた。ここ数年で一番大きいブレイクスルーだったから書き残す。
動画共有サイト(YouTubeなど)の、低評価の存在意義について深掘りして考えてたら急に閃いた。
低評価は、2023年現在、
- 公には開示されない
- チャンネル主には見える
- 反応がないから無に帰す
じゃあ低評価押した人はどんな「価値」を得てる?
そのボタンを押すことで得られる「価値」は何?
そもそもそのボタンを押す人はどういう人だろう。
- 言語化能力が低くてコンテンツに対して抱いた負の感情を言葉で表現できない
- 情動操作能力が低くて負の感情を自分で消化できない
- 理解力の低さから歪曲した解釈をして自己正当性を誇示したい
- 自意識過剰で被害妄想に陥り、反撃(事実上の一方的な攻撃)をしたい
- 手軽に憂さ晴らししたいが臆病だから陰から石を投げてスッキリしたい
- コンテンツの情報が間違っていてそれを否定したい
シンプルに、言語化できない&臆病な人が他者を道具化するために最終的に行き着く先が「低評価」なのか、ということが見えてきた。
低評価を押すことによって、
- 自分の中の「何か」を発散した気になる
- 言語化できないことをアウトプットした気になる
- 気持ちが相手に届いた気になる
- 攻撃してやった気になる
ざっとこんなもんか。───実質、何もできてないし現実は何も変わらないし、めちゃくちゃかわいそう……。
そして彼らは自分が「何を低評価したのか」など、次の日には忘れてるんだろう。
これに気づいた時、血の気が引いた。
なぜなら、低評価を押してもエンゲージメント率が上がるから。
アルゴリズムで考えた時、高評価も低評価も、視聴数も、視聴維持率も、すべては「エンゲージメント(反応)」というたった1つの指標で括られてるから、実はそれぞれの項目を個別に「言葉の意味」として捉えることそのものにほとんど意味がない。
つまり、低評価を押したり誹謗中傷や荒らしコメントをするのは、心理的・言語的に意味がないものに意味があると思い込んで、むしろ自ら養分になってるだけ。
動画共有サービスやSNSの設計者たちは、そこまで織り込み済みでUIや構造をデザインしてるんだろう。
ここに血の気が引いた。
つまり、
- パブロフの犬
- 猫のベル→給餌
- サルのパチンコ
と同じことをサービス設計者は人間に対して平気で行なっていて、それが世界規模の巨大ビジネスとして成り立ってるということ。
もちろん、スマホやタブレットの開発者らが「自分の子どもにそれらを絶対に与えない」と言ってることは知ってるけど、前述のことに気づいた時に改めて不憫さと哀れさと己の無力感に血の気が引いた。
彼らに主体性や能動の重要性を自覚させるのは教育であり、大半はそれが「不可能」なんだと気づいたから。とても申し訳ない気持ちになった。
もう1つ気づいたのは、どこまでいってもビジネスは教育じゃなくて商売なんだなと。もちろんファンや顧客を育てるビジネスもあるけど大前提として「売るため」でしかなくて。
人間の、根源的な、主観的幸福感と自尊心を取り戻すための哲学や科学を理解するという意味での本質的な教育を必要とする&求めている人、かつ「ものにできる人」は、おそらく1%もおらず、実際に現実的に求められてるのは言うまでもなくパブロフの犬ビジネスで。
たとえば、インフルエンサーにかまってほしいだけの人のコメントへの対応は、実は中身どうでもいいのと同じ。彼らは返信の内容じゃなくて、まず返信そのものに価値を見出してるわけだから。
ライブ配信などで、チャット欄の名前だけを呼びまくる文化があるのはそういうことなんだなと。
筋トレやダイエットや語学や自己啓発のコーチングだって、受ける人のほとんどは「やってる感」そのものに価値を見出してるわけだから。
何もせずとも、現実も見ずとも、何かが変わったとか何かを成し遂げたような気になりたい人たちにそれを与える「外的要因」こそが経済的価値なんだと、ようやくわかった。
そしてそれを与えるのは「偶像」なのは、これまでもわかってたし、言わずもがな。
偶像が対象とするのは、内的要因が少ない or 内発的動機づけが困難な、Full IQとして定型または境界知能あたりのベルカーブ中央値付近の人たちに、必然的になると思う。
圧倒的に機能性や結果を重視するのは完全なマイノリティで、言うなれば、IT産業が現代の資本全体の1割を生み出し、もはや不可欠なインフラでさえある令和になっても、PCのスペック表を見てまったく理解できない人の方が多いことに通ずるように感じる。
IQ120台の人が経済的には豊かになりやすいという統計があるのは、全体的な抽象構造を理解するほどのIQではないけど中央値付近の人たちの「ほしいと思う物事」はわかり、さらに提供することに躊躇がないということに起因すると推測する。結果論として。
哀しいけど、IQ70未満の軽度知的障害やIQ35以下の重度知的障害を持つ人達が、できることできないこと明確にわかれてるのと同じで、高揚感や達成感や自己有用感や自己効力感を自分で得られない人たちが圧倒的多数であり中央値であり、彼らはひたすら何か・誰かに与えられることがそれらを得る唯一の手段であるというこの構造は、もうどうしようもないことなんだと100%腑に落ちた。
歪んだ価値感の刷り込み洗脳によって地獄のような人生を送ってきてそこから這い上がってこれる人も、たしかにアスペイズムのこれまでを考えると、IQ120前後以上の人が多かった。
とても哀しいけど、20年以上、資本主義について答えが出なかったから、スッキリした。
自身、どうしても全体最適化を考えながら「普通」にすべてを合わそうとしてしまう悪癖があり、抽象度を上げきれなかったし、能力を最大限に発揮したり幸福感を最大にするためには「完全な一人」が必要なのにそれを実現しようとしてこなかったのは、不公平な世の中だからこそ平等な共生を重視してるギフテッド特性のせい。
自分で自分の杭を打つ癖に気づいたんだから、なんとかこの癖を直していこう。