考え事が止まらなかったり会議がまとまらない原因は、予め定義をしないから
何か考え事をしてたり、人と話し合ったりする時に、同じようなことをぐるぐるぐるぐる繰り返して一向に終わりが見えないしまとまらない・・・みたいな経験、ありませんか?
学校なら学級会、仕事の会議もそうですし、何かを決定しなければならないような状況で、たとえ人がたくさん居たとしても何も進まずにやきもきして、時間だけが過ぎていく・・・そんな経験は誰しもあるんじゃないでしょうか。
三人寄れば文殊の知恵とは言いますが、大の大人が何人集まっても話がまとまらないことは往々にしてあります。
そんな時、必ずと言っていいほど欠けていることがたった1つだけあります。
考え事や話し合いで絶対に欠かしてはいけないたった1つのこと・・・それは、
定義
です。
最終目的を定義せよ
たとえば、目的の定義。
考え事にしても、話し合いにしても、何か行動を起こすにしても、一番最後の最後、「突き詰めた先の最終目的はなんなのか」という定義がないと何も進みません。
ゴールを決めないマラソンに終わりはないのです。
目的の定義、大切です。
「なんのために考えるのか」を考える
考え事がまとまらなかったり、ぐるぐる考え事が止まらない人は、そもそもなんの目的意識もなく考えているんじゃないでしょうか。
上で書いたとおり、ゴールを決めないマラソンに終わりはないのが当たり前です。
「自分はなんのためにそのトピックについて考えているのか」を考える必要があります。
これは発想の転換が必要なので最初は慣れないかもしれませんが、ぐるぐると考えてしまってることを自覚した瞬間に、頭を切り替えてみましょう。
ここで朗報なのですが、あれこれ考えてしまう人は脳のポテンシャルが高いです。
なので「考えてしまえる」という表現が正確で、この特性をハッピー側に使えるようになっていけると人生激変します。
「会社の売上を上げるには?」会議
よくありがちな、

会社の売上をUPするには?
みたいな会議。
こういうテーマの会議を「抽象的」と言ったりしますが、違います。
これは単純に、曖昧・不明確・不透明などと言います。
抽象というのは、応用が利く本質のことを指すので別物。
普段から全然詳細に視点を向けられていなくて、浮き彫りになってない問題が山積みの会社に、曖昧さのオンパレードはありがちです。
そして一向に有用な意見が出ないまま、みんなで「うーん、うーん」と唸ったり沈黙が続く会議・・・。
そもそも、どうして売上を上げたいのでしょうか。
売上を上げることは目的ではなく、手段です。
「会社に多くのお金がある状態にする」が本来の目的です。
ひいては、経営陣も従業員も顧客も全員が満足することが目的なのではないでしょうか。
そうすると、すべきことは売上を上げるだけではなく、支出の見直しや業務の効率化、福利厚生の充実、利益還元など、いろんな観点から考えることができます。
こうして、何が目的かを深堀りして考えて定義し、共通認識として固めて、そのために何が必要かを、常日頃から経営者も従業員もしっかり考えていれば、曖昧な会議は全く必要ありません。
言葉の意味を定義せよ
もう1つ大切な定義があります。
それは、言葉の意味の定義。
この言葉の意味の定義を共通認識にすることは、人との会話全般において大切なことです。
たとえばこのサイトではそこかしこで「知恵」を発信してます。
知恵というのは「人間が漏れなくハッピーになるためのハウツー」のこと。
そして僕は、人間が漏れなくハッピーになることを「善」と定義してます。
と言うと、

善と悪なんて人それぞれでしょ
と思うかもしれませんが、その「人それぞれの善悪の定義」を明確にせず共有しない状態、つまり共通認識がない状態こそが、誤解を招き、争いを招き、差別を招き、いじめを招き、その果てに犯罪・殺人・自殺が起きます。
なので、考え事や話し合いの際は、目的と言葉の定義を明確にして、その場に当事者が複数人いるのであれば定義を共有する───共通認識を持ってスタートする必要があるのです。
むしろそうすることで、やっと話し合いをスタートできるのです。
共通認識がないと、何をするにしても入り口にすら立てず、平行線のまま、ただただ人間がリソースを浪費して終了・・・という最悪の結果になるのです。
インターネット上での非難中傷や水掛け論、国会での議員同士の揚げ足取りや口喧嘩も同じ現象です。
もちろん、先程の目的の定義もお忘れなく。
ここまで聞いて「なんのことやらさっぱり・・・」という人のために、もう少し具体的に例を挙げて説明してみましょう。
日常会話でも定義が大切
「スポーツ」の定義
言葉や目的を定義して、共通認識を持つことは、仕事の会議だけではなく、どんな会話でも大切です。
たとえば、
「好きなスポーツの魅力を言い合おう」というテーマがあった時に、いきなり誰かが、
「お花は色とりどりだから美しくて好き🌺」
なんて言い始めたらどうでしょう。
「え・・・?何の話?(・_・)」
となるんじゃないでしょうか。
実はこの現象が、あらゆる思考や議論でもそこかしこで起こってるわけです。
このケースでは、要は「スポーツという言葉の定義」が当事者間で予めされておらず、「共通認識」がズレてしまってたがゆえに起こってしまった状況なんです。
つまり、「お花がスポーツなわけない」という固定観念を持った人と、お花はスポーツだという固定観念を持った人が、そのすり合わせをしないまま話してしまったがゆえの結果ということ。
ここで必要だったのは、
「私は華道をスポーツだと考えてる。なぜなら、神経を集中してイメージと寸分の狂いもなく生けていく作業は、まさに手に汗握る戦いだから」
という、話し手が定義を再構築する作業と、
「もしかしたら一般常識と違うことを言ってるのは何か事情や深い意味や面白さがあるのかも」
という、聞き手が定義の再構築を受け入れる心構えだったのです。
そしてこの「前提の共通認識」を予め明確にしておくことは、どんな思考や議論に置いても真っ先に優先したほうがいいのです。
「食事」の定義
もう少しわかりやすい例でいくと、「食事の楽しさを語り合おう」というテーマがあったとしましょう。
口々に、あれが美味しいこれが美味しいとか、どこどこの店の料理の盛り付けは映える~とか話してる中で、
「プロテイングミは革命だよね👍」
と突然言い出す人が居たらどうでしょう。
このケースは、「食べ物」としての共通認識は合っていますが、「食事」や「楽しさ」としての共通認識のすり合わせができていません。
プロテイングミを推してる人は、きっと、栄養補給=食事という定義で、いかにカンタンに栄養が補給できて、費用コスパや時間コスパの高い食事ができるかを「食事の目的」と定義し、さらにその目的に向かって試行錯誤することを「楽しい」と定義してるのでしょう。
ここでプロテイングミ推しに必要だったのは、
「私はプロテイングミを食事だと考えてる」
という前提の共通認識を作る作業だったわけです。
つまり、言葉と目的の定義が曖昧で、共通認識がない状態というのが、思考や話の流れを遮って進まない、ともすれば諍いに至るという結果を生み出すわけです。
これらの誤解やすれ違いは、そもそもの「相手と自分は同じ考え方を持ってるはずだ」という思い込み、その場に居合わせた全員のそれぞれの先入観(アンコンシャス・バイアス)から起きています。
誰が悪いわけでもありませんし、全員に要因があるとも言えます。
当事者の相互努力で良好な関係が築かれる
先入観や思い込みで誰も悪くないと書きましたが、

いやいや、常識があるでしょ常識が
と思う人も居るかもしれません。
しかし、たとえば僕とあなたの会話において、他の特定の誰かの価値観を基準にしてしまった時点で、お互いに向き合っていないことになるしお互いを尊重できていないことになります。
99%の人がYESと答えることでも、100%の人に当てはまることでなければ、NOと答える1%側の人もYESと答える99%側の人も、どちらもただ勝手にそう思い込んでるだけで、絶対ではないという点でまったく差はないのです。
二者間で、そこには居ない全然関係のない人のことばかり話すのは相手に失礼なこと───という感覚はあると思いますが、価値観もまさにそれです。
自分の言葉で自分の考えを説明や表明できない・しない時点で、それは意見でも考えでも感覚でもなく、受け売りの押し付けです。
テレビやネットでは、有識者や専門家がコメンテーターとしていろんなことを議論したり考えたりしてますが、実際に先程の「目的や言葉の共通認識」を作って会話できてる人というのは非常に稀です。(テレビやネットでは、ポジショントークやエンタメゆえに敢えてまとまらないように仕向けてる場合もあります)
先程も書いた「価値観は人それぞれだから」という美辞麗句は、ハッキリ言うなればそれぞれの中に定義や目的を定めずに、または定めていても伝えることやすり合わせを諦め、行動も言動も何もかもを人にせいにする責任転嫁の免罪符になってしまう、危険な思想から来る言葉です。
まとめ
考え事が止まらなかったり話し合いがまとまらない場合の対策について、まとめます。
✔目的や言葉を定義しよう
✔共通認識を作ろう
✔それがスタート
定義することは、何かを考えたり話し合う上でとても大切です。
一人で考える時も、みんなで考える時も、話をする時も、「目的と言葉の定義」と「共通認識」という言葉を思い出してみてください。
慣れるまでは大変かもしれませんが、できるようになるとその後の流れがスッキリまとまってスピーディに進めていけます。
有限の人生、ムダにリソースを使うような時間を減らして、ハッピーを増やそう✨
それではバイバイ。