楽そうに見える人=ASD・ADHD?

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気楽でいいね・楽そうだね・強いね

ハタから見て、めちゃくちゃ楽そうに生きてる”ように見える”人が居る。

僕自身がそう。

「たかひとさんは好きなことして好きなように生きてて、羨ましいです」

「雨の中でも傘もささずに顔色ひとつ変えずに、まるで君の周りだけ雨が降ってないように見えるね」

「病気や障害なのに、いつも元気ですごいね」

「暴力振るわれても怒声を浴びせられても、あっけらかんとしてるし、全然凹まないんだね」

「大人でも泣いてしまうくらいつらい手術や治療でも、涙1つ流さないなんて、強い子だね」

「人を傷つけても、罪悪感なく引きずらないし強いんだね」

などなど、これまで色々と言われてきた。

本当に楽なの?強いの?

たった一言だけ、言わせてくれ。

んなわけあるか!!!!!

ざざぶりの雨ン中で、傘もささんとおったら、不快やし冷たいし、風邪引くの心配やし、過敏体質やから痒くなったり赤くなるからイヤやっちゅーねん。

ごんぶとの注射を背骨にぶっ刺されたら痛いっちゅーねん。

ドリルで歯茎に穴開ける手術も夜に泣いたっちゅーねん。

家庭が機能不全になって進学や就職がスムーズにできなかった時も将来について毎日不安やったっちゅーねん。

心身の持病が相まってた当時は、自分の思うように生きれなくて歯が割れそうなほど食いしばるほど悔しかったっちゅーねん。

ボコボコに殴られて鼻骨も上顎も割れたら痛くて涙出たっちゅーねん。

元恋人が飛び降りた時も超絶焦ったし、止められなかった罪悪感もずっと背負ってたっちゅーねん。

まともに話も聞かれずにいきなり怒鳴られたら気絶しそうになるっちゅーねん。

体温を計って「H℃」って出ただけで弱気になってたっちゅーねん。

大切にしてた約束破られたら「ぁ?」って思ってたっちゅーねん。

嘘つかれたり浮気されたり予定外のこと起こったら、ストレスで血便出てたっちゅーねん。



──────と、勢いに任せて一言どころじゃなくなってしまったけど、やっぱりこの「楽そうに見られる問題」はASDやADHDが関係してる自覚はある。

高機能自閉症や多動性障害を調べるWAISⅢという成人知能検査を含む臨床研究に参加した結果の数値は、実に人の4倍以上のストレス反応を示す過敏さ。

つまり、ストレスになること自体の数も、1つのストレスから受けるダメージも、普通の人の4倍以上。

普通の人がなんとも思わないことでも矛盾に気付いてしまって、そのたびに目眩起こして、何ヶ月も気にして、体調崩して、その間ずっと食欲もなくなってた。

「どんなことがあっても絶対に諦めないし、負けないし、全部楽しむ」なんて頭おかしいことができるようになったのは、本当に覚醒したここ数年のことで、それまではもう豆腐メンタルどころか、地上で自分の体重を支えられず死んでしまうクラゲくらい最弱やったって。

楽に見られる理由

メンタルクラゲやのに、周りから楽そうに見られるって事実は確かにあるわけやんな。

これは、自己分析はもう済んでるねん。

僕はASDもADHDも両方あって、WAISⅢ検査での全体IQは100±10で平均なんやけど、実はあの検査の時って臨床心理士が目の前に居るから、気が散って集中でけへんで、しかも対面した検査が長引くと申し訳ないって罪悪感で、適当に答えてさっさと終わらせないとって意識が働いてしまうねん。

だから、会話とかで性格の傾向性やストレス耐性は判明しても、具体的な知能の部分では全然正確に測定されてへんねんな。

んで、改めて有料の国際IQテストと、無料のスウェーデンMENSAノルウェーMENSAのIQテストを受けたところ、

それぞれ131、127、142で、アベレージが133やねん。(測定上限は恐らく145)

スウェーデン版とノルウェー版のMENSAテストは、標準偏差15(Wechsler scale)と言って、臨床心理士によるWAIS検査と同じ基準での数値と感じる。

ただ、やっぱりその日の脳みその調子によって、数時間悩んでも全然ダメだったり、5秒で閃いたりするから、かなり環境に左右されやすいねん。

つまりやで、ストレス反応が人より多くて、一時的な情報を大量に記憶して頭ん中で比較検証・整理したり結びつけたりする能力”だけ”が異常に高いタイプの高機能自閉症ってことは、日常的にはそれだけ人より考えることが多い=いらんことで悩みやすいってことやねんな。

けど、その能力がもう一方では、問題予知や問題回避っていう対策の方にも働くから、全然ストレスを感じてないように見える行動を取るねん。

少し詳しく言うと、一番最悪の結果を防ぐために、頭ん中で大量に5~10秒くらいで超リアルに具体的にいくつもシミュレーションして、モアベターな選択をするねん。

すると、たとえば、さっき挙げた過去のいくつかの本音が、次のような思考になってた。

・治療や検査や手術で、痛みに悶えて泣いたり暴れてちょっとでも動いたらもっと痛くなるからじっとしよう

・雨で傘を忘れたけど、濡れるのイヤやからって急いで走って、転んで全身がずぶ濡れになったらもっとイヤやから普通に歩こう

・ぜんそくで苦しかったり皮膚炎がかゆかったりっていう症状を、人に見られて不穏な空気になったり心配させたりしたら後々やりにくくなるから平常を隠そう

・PTSDのフラッシュバックが出てると知られたら、余計に気を使わせてそれ以上にこっちが気を使うことになるから耐えよう

・仕事で誰かに相談すると、否定されるともっとストレスやし、アドバイスされたらその通りに動かないといけない縛りがイヤやから自分でなんとかしよう

・暗い顔をしてたら心配されるし、それをリカバリするのがクソめんどうやし、誰も得しないから笑顔で居よう

・怒鳴られてこちらがしんどくなったら、感情的になった相手に「ある種の成功体験」を積ませることになって、この先もっと被害が拡大するから絶対に折れてたまるか

───などなど。

ここでのポイントは、そのシミュレーションが、脳内で超リアルってこと。

実際に起こり得る未来の情景を、めちゃくちゃリアルに描いて、その時に自分や他人の思考・行動・言動がどうなるか、空気感、多様な人間関係の変化、さらにそれらによって起こるもっと未来の変化まで、具体的に比較検証をしてしまう。

もちろん、暫定的な「現在の情報となる要素」を全て加味した上で、できるだけ因果論として推測する。

だから、自分の行動の選択を変えないと、その比較検証して出てきた「良くない未来」は高確率で訪れるねん。

雨で転ぶとかは、自分が気をつければいいだけの話やねんけど、こと人間関係においては、大体予測通りになる。

だから、その「良くない未来」を避けるために、いまの最適解や最善の策を取ると、周りからは楽に見えるとか、強いとか、ひょうひょうとしてるとか言われるわけやねん。


まとめ

まとめると、人とは違う能力によってストレスが何倍もあるけど、同じ能力によってその何倍ものストレスを全部回避してるからラクそうに生きてるように見えるっていう、ひとり劇場みたいになってる(笑)

もちろん、デメリットだけじゃなくて、人がどういう時にどういうことを言われたら喜ぶとか感動するとか、反対に怒ってる時はこういうことすれば機嫌取れるとか、嘘ついてるのも全部わかるっていうメリットもあるからおもしろいっちゃーおもしろい。

ただ、僕自身は嘘を付きたくないっていうアスペの特性によってその能力は相殺されるから、ぜんっぜん恩恵を受けへんねんけど(笑)

最後に、一番問題やったのが、やっぱり自分のことをずっと「バカ」「クズ」「ダメ人間」「出来損ない」と思ってたことやな。

今やからわかるし言えるけど、科学的・医学的・統計的な視点から、自分の得意や不得意を知ることはほんまに大切

ずーっと、自分自身の人間的な価値そのものが低いって思ってたから、当然自分の長所になんて目を向けないし、どうせ何やってもムリって思うし、自分なんて愛されなくて当然で、人に甘えるとか頼るなんてかっこ悪くて迷惑で、自分だけが苦労しなければならないんだっていう、病的な自傷行為の人生になってたわけやねん。

んでやっぱりそんな考え方してると、僕がなんなくできてることがうまくできない人たち全員を見下したり低評価して差別してるのと同じってことにも、全然気付いてなくて。

「なんでそんなこともできないん?」

「なんでそんなことで悩むん?」

こんな僕ごときでもできるのに

っていう、他者に対して無意識にハードルを爆上げする、超絶迷惑なやつになってたってことや????

だから、うぬぼれじゃなくて、自分の得意や長所を自覚するってことは、人に優しくできるってことやし、逆に不得意や短所を自覚することでも、共感して人に優しくなれる。

できないことはできないって言えるから、体や心を壊さなくても済む。

自分でムリして生きて、楽に生きてるように見られて、「んなことあるか!!」って苦労の正当化をせずに済むし、「誰も自分のこと理解してくれない」なんて自己憐憫からの悲劇の主人公ぶることもないしさ。

”本当に楽に生きられるようになるため”に、自分自身のことをちゃんと、思い込まずに理解しようとする姿勢が、ほんっとうに大切なことやで。

それではまたでBYE。




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