もうタイトルが答えなんだけど、正しい生き方ってなんぞやって誰もが一度は考えるであろうことやと思うねん。
でも、避けられない苦労とかがない限り、その答えって出さなくてもなんとか生きれちゃうねん。
んで、ずっと生きてると、避けられない苦労や悩みや不安や悲しみが出てきて、その時に答えが欲しくなって、改めて「正しい生き方?」とか「幸せって?」とか考え始めると思うねんな。
いざ誰かに聞いてみても、言ってることがあべこべだったり、みんな言ってること違ったり、自分に当てはまらなかったりして、イマイチ確実性に欠けると思うねんな。
でも大丈夫。
このブログでは、どんなテーマでも、「誰にでも100%当てはまること」をなるべく書いてるから、読み終わって理解したら、スッキリするはず。
では行ってみよー。
結論 win-win
win-winって言葉は聞いたことあるかもしれん。
私もお得、あなたもお得。
これを目指した生き方が正しい。
誰も損しない、みんなが幸せになるように双方が尽力する。
お金はもちろんのこと、体、心、時間、この4つにおいて、誰とでもwin-winであること。
それを目指すのが正しい生き方。
へりくだって相手を立てるのも、人をこき下ろして自分が得をしようとする姿勢も、どっちも違う。
というか、4つの幸せや充足や満足を得られるのはwin-winの生き方だけ。
返してこない人に尽くすな
無償の愛とか、慈悲って言葉がある。
見返りを求めずに人を愛するのが徳の高い生き方、みたいな。
でも、なんでもかんでも与えて、望みを叶えて、言うとおりにするって、人の可能性を奪うこと。
愛するって、可能性の開拓のことやからさ。
人間って、知識・人望・財力・元気のどれか1つでも自分で得る能力を持っとかないと、平穏に安心して生きていけないねん。
でも、周りの人がなんでもかんでも代わりにやっちゃったら、ただの過保護や過干渉。
すると相手は「自分で得る方法」がわからなくて、自信が持てなくて、自分の価値もわからなくなって、視界に入った弱者を攻撃したり奪ったり、人と比べて優越感を感じることで自分の存在価値を感じるようになってしまう。
人からの善意を与えられて当たり前だと思ってると、知識も、人望も、財力も、元気も、どれも得られない。
だから、与えっぱなしじゃいけない。
尽くしっぱなしは危ない。
何度か与えて何も返してこない人は、さっさと見切りをつけるのが本当の慈悲やで。
そして、もしためらうような気持ちがあるなら、それは愛ではなく依存で、相手に変化を求めたら支配欲になるから。
心からの善意や愛情に、感謝をもってお返しできる人以外には、一度与えて返ってこなかったらもう与えない……くらいの姿勢でいい。
お返しの形はいろいろ
こと経済の話においては、例えばお金を出せば商品を得たりサービスが受けられる。
提供する側が金額を提示して、享受する側が納得して払うから、この取引自体が等価交換やと思うやん?
けど、「納得して払う」ってところに、win-winが隠されてる。
提供する側は当然原価などのコストも踏まえて価格設定をしてるから、もちろん提示した金額で取引成立したら利益になる。
つまり、お金を払った側の金額って商品やサービスのみの価値じゃなく、提供側の利益分が上乗せされてるってことやん。
この上乗せした利益分ってのがミソ。
実は、お金を払った側にもソレは生じてる。
コストを払って「納得と満足」という、得た商品やサービス以外の利益を得てる。
正確に言うと、商品やサービスが自分の手元に来るだけなら等価交換やけど、そこに自分がどれだけの満足や価値や感動を得るかってのは、未知数。
つまり、多くの人は、物やサービス自体が価値やと思ってるけど、それ自体の価値に上乗せできる利益がたくさんあるねん。
心の満足や充実感はもちろんのこと、思い出という時間、誰かに話すためのネタであったり、新しいことを知るきっかけだったり。
だから、win-winというのは、必ずしも決まったテンプレートに当てはまるんじゃなく、いろいろな形があるってことを理解しておくと、得すること間違いなし。
1万円のギフトあげたから同じ額以上のギフト返せ、っていうことじゃないねん。
「自分や相手にとっての本当の利益・価値は何か」ってことをよーーく考えて、そのためにどんな行動を取るかが、win-winの一番大切なポイント。
互いに利益や価値をたくさん感じれば、感謝し合えて、最高のループになるから。
大前提で、何度も言うけど、元からなんも返す気のない人、何を返されてもこちらが利益を感じられない人には、そもそも何かを与え続けてはいけないよ。
10年先のwin
win-winとは言っても、何かを相手に与えてそれがすぐ返ってくるとは限らない。
私事だけど、10年以上、人に尽くし続けて、やっと返ってきたこともあった。
けど、あんまりこれはオススメできない。
返ってこないなら与えるなとは言ったけど、これは、僕自身がずっと自己犠牲で人に尽くし続けた結果、グシャッと潰れたことがあるからこそ言えること。
lose-winの人生。
結局、どこかで何かを我慢したり耐えたりして、自分の欲を抑圧しながら尽くしてるとどこかで自分の心身や時間や金というリソースが枯渇して、負の感情を抑えきれなくなる。
そうすると、愛する人や恩人や信頼する人、果ては自分自身に負の感情を向けてしまうことになる。
建設は死闘、破壊は一瞬
という言葉があるけど、まさにこれ。
たまたま耐えきった先に、winが返ってきたこともあるけど、多くの場合は、あんまり長期スパンで考えて良い結果になることはない。
唯一あるとすれば、lose=win(ギブ=テイク)になるような、特別な関係性のみ。
lose=winは無敵!?
基本的にはwin-win、与え合いの関係性がベストなんだけど、例外としてlose=winがある。
英語では、my pleasureなんて言ったりする。
つまり、与えることそのものが得ることになってる関係性。
これを愛って言う。
もちろん冒頭あたりで言った、可能性を奪ったりする過保護や過干渉じゃなくて、本当に相手のためになるなら労を惜しまないことを我が喜びとする、究極の形。
ただ、本当にこのスタンスで結果的に相手が幸せになれば、最大最高のwin-winになるから、そういう意味では愛って素晴らしいなって思う。
とは言っても人間心理として、たとえ家族や恋人でさえここまでのスタンスを持って関係性を維持するってなかなか難しい。
ましてや他人ともなると「人類みな兄弟!!」ってマジで思ってるちょっとおかしな人くらい突き抜けてないと、基本的にはどこかで無理しちゃうのは目に見えてる。
だから、現実的に考えて、目指すべきはwin-winですよ、と念押ししておきたい。
lose-loseは論外
言わずもがな、という感じだけど、誰も得をしないlose-loseは論外。
結果的にみんな消耗して終わり、何も得られず終わり、これは最悪。
理想として、どんな最悪な状況からでも何か価値や利益を得てやる!って姿勢は大切やねんけど、そういう姿勢を持たなければいけなくなる状況は常日頃から避けるのが、やっぱり一番賢い。
生きてれば、どうしても避けられない、不可抗力の苦労ってのがあるし、反骨心や負けん気ってのはそういう時のために取っておくべきで、普段からlose-winやlose-loseになるような人間関係ばかりだったり、そういう関係を作ってしまう考え方をしてると、そのいざという時に運命とやらと戦う力が充分に残ってなくて、はい人生終了なんて事態がザラになってしまう。
だから、基本的に自分が一方的に我慢したり耐えたり、損をしたりする選択は「あり得ない」と思って生きた方が、幸せになれる=正しいよ。
no dealという選択肢
win-winにもならない、lose-loseは最悪、lose-winやwin-loseも最終的にはlose-loseになる。
人類愛のlose=winは正気の沙汰じゃない。
じゃあどうしたらいいの!?
という時に、no dealという選択肢がある。
これは7つの習慣という本で僕が初めて知った言葉。
dealの意味は、取引・分け合い。
つまりno dealは、取引しない、分け合わないってこと。
「その件はなかったことに」って感じ。
ビジネスにおいてはこういうドライな対処も可能だけど、個人の人間関係においては、なかったことになかなかでけへんよね。
だから僕は、人間関係におけるno dealは、関わらない・取り合わない、って意味合いに捉えてる。
もともとあった関係性で、どうしてもlose-winやlose-loseを繰り返してしまうようなら、もう、関係自体をスッパリ切ってしまう。
相手に一向にwin-winの意思が芽生えなかったら、もう終わりにする。
一向にとは言っても、家族でもなければ3回失敗くらいが限度でいい。
今日1日を生きてる価値は、惑星や宇宙と等価やから、有限の人生を、ただ消費・消耗・搾取されるばかりの関係は、徹底的にぶった切って生きましょう。
まとめ
正しい(=幸せな)生き方はwin-winですよ、ってのをつらつらと書いてきたけど、まとめると、全てのメリットを見つける気持ちを持とうってことです。
自分のメリット、相手のメリット、周りのメリット、その全てを満たす選択肢を、そこに関わる全員が模索する。
この関係性が整ってなければ、自分だけを犠牲にする生き方はいつか破綻して、長い目で見た時にlose-loseになってしまうから、それだけは避けよう(=no deal)ね。
win-win or no deal.
生き散らかそうぜ。