「ありのまま」を愛せない、愛されないのはなぜか。

心の道しるべ

無意識に人に条件を課して、ありのままを愛せなかったり、反対に、人から条件付きでしか愛されなかったり、世の常やんな。

でも、何かに、誰かに、選ばれようとしなくても、自分じゃない自分になろうとしなくても、本当はそのままありのままで誰しも大切にされるべきなのは明白。

だけど、このロジックは、人間社会ではなかなか成立しない。

僕はまだまだ若造で、昔のことはわからないけど、今の社会を見るに、犯罪数は減ってもその中身はより複雑・陰湿になってきてる気がする。

人が人に向ける意識も、複雑になってきてる。

なんせ、自分で自分を愛せない人ばかりで、自分の幸せや明確な思想すら持ってないから。

ありのままを愛せない・愛されない原因は情報過多と価値失認

理由は2つある。

1つは、江戸時代の人が一生かかって手に入れるような情報量を、現代人は1時間で取り入れてると言われるほど、情報過多・情報飽和の時代だから、スベテに惑わされてしまうということ。

もう1つは、それゆえに「あらゆる価値を見失ってる」から。

大前提として、僕らは生きてる。

産まれて、今日まで生きてきて、今も生きていて、これからも生きていく。

この前提を絶対的な基準として情報を取捨選択して、価値を考え、知っていかないと、哲学的な答えはいつまでも見つからないし、個人も全体も心から幸せになることは決してない。

自由・多様性の罠

「価値観は人それぞれだから」

という言葉は、自由で多様性があって寛容的に聞こえると思う。

だけど、そのそれぞれの価値観で「殺人や自殺や差別や偏見や諸犯罪」が起こってる。

つまり「人が虐げられることを肯定してる」ってこと。

誰かの苦しみの先には誰かの死があるのは、100%。

それを「人それぞれだから仕方ない」と肯定しちゃうのは、いつも蚊帳の外の人。

自分が苦しい時は、七転八倒して泣き喚いて誰かに必死で助けや救いを乞うのに、自分以外の人が苦しむことは「仕方ない」で終わらせるような社会。

ともすれば人が苦しんでる様を見て「迷惑」だなんて言い放つような人間も居る薄情で恐ろしくて悲劇な社会。

それは、人々の諦めで、怠惰で、逃避で、恐れで、不安。

感覚的にもわかることだけど、そういった負の思考で、幸せを得られることはまずない。

特大ブーメランってやつ。

ありのままで愛される・愛する2つの方法

みんな生きていて、生きていく───この前提の基準からすれば、全員がよりよく生きられる、つまり……生老病死の他になるべくしんどい苦しいつらい思いをせず生きてこうよって社会が、人間の目指すべきとこなんだよ。

もっとカンタンに言うと、生きる上での全員のハードルを完全に撤廃しようってのが「ゴール」なんだよ。

イバーシティやユニバーサルデザインという言葉だけを見てもわかることだし、経済の観点から見ても歴史を振り返っても明らかに最適解はそれだけ。

それを達成するには、2つの方法がある。

1.自分の心・体・時間・命・金を大切にするため以外の情報や物事はスベテ捨てる

自分を惑わす物事・情報・人間全てを捨てる、すぐ離れる、取り入れない。

・テレビやネットの根拠不明な情報

・身近ないろんな人達の勝手な罵詈雑言

・お節介を通り越した押し付けの助言

・気乗りしない強引な誘い

これらは全て自分のリソースを浪費するだけ。断捨離。いらない。

人的資源を軽く見るから、人的資本が増えず、社会…ひいては国の発展と成長が危ぶまれる。

一方的な消費ではなく、必ず、evenやwin-winに近づけようって意識が大切。

人が人の存在を消費したり否定することを受け入れてしまったら、それは自分自身の存在を否定してることに直結する。

自分と人は別個体だけど、同じ種類だから。

2.正当防衛以外は攻撃や否定しない

ヒトを否定したら自分を否定してるのと同じ。

自分を否定したらヒトを否定してるのと同じ

だけど実際には、さっきも言った通り、自分も人も、たしかに今も生きていて、これまで生きてきて、これからも生きていく。

苦しい状態で生き続けるなんて、誰もがまっぴらでしょ。

だから、ヒトの存在を否定することも、脅かすことも、受け入れちゃいけない。

否定はしてはいけない一方、否定をされたら真摯に向きうことも大切。

言葉遊び的に言えば「否定を否定せよ」ってこと。

それが「ありのままの自分を愛する一歩」になる。

注意が必要なのは、ステータスを否定されたからって「自分自身を否定された」と思わないこと。

そりゃただの自意識過剰な被害妄想だから。

何はなくとも、自分の存在は唯一だし、みんな一人ひとりに当てはまる真実だから、その一点のみで自分自身を全肯定していい。

いや、全肯定すべき。

すべきというか、真実やから、否定のしようもないのに自己否定してる人がわんさか居るから、その矛盾が自分を苦しめてるって気付こう。

自分は唯一だ!

みんな唯一だ!

みんな大切だ!

みんな尊い!

って気付けば、多少の悪口や悪意や敵意なんて、ものともしないくらいの自尊心や自己肯定感を保てるから。

つよがりじゃない、本当の強さを得るってことやから。

人間がありのままを愛し合えない歴史を繰り返す理由は、教育の不完全さ

───そして、なぜ人間がなかなかありのままを愛し合えないのか。

ずばり、相対価値と絶対価値の区別がつかない人達ばかりだから。

簡単に言うと、資本主義から来る経済的価値っていう「予め用意されたモノサシ」でしか、価値を測れない人が多数ってこと。

けど、値段をつけられないことって、多いよな。

命も心も、値段つけられないからさ。

臓器とかには値段つくけど、命って見えない仕組みのことやから、仕組み自体に値段はつかない。

心や意識も然り。

で、その「値段がつかないもの・こと」の「価値がわからない」んだよ、大抵の人は。

だから「ヒト」の価値がわからない。

どれだけ価値があるか知らない、理解できない。

「タダほど高いものはない」

とは良く言ったもんで、本当に、そのへんの価値基準が全部、育まれてないというか、養われてないというか。

だから、人をありのまま愛せない。

愛されなかった人は愛せない人になって、愛せない人は結局、愛されない人を生む連鎖。

どうしてそんなことが起こるのか。

資本主義だから?

経済社会だから?

答えはノー。

便利さや豊かさは、確かにヒトの肉体を退化させてしまいがちだけど、だからと言って精神まで退化するかと言うと、それは言い訳。

目に映るものに惑わされまくってると、目に見えない本質をほったらかして粗雑に扱ってしまいがちだけど、それを防ぐのが、哲学。

哲学。(大事なことなんで2回言った)

つまり、教育。

教育とは言っても、既存知識をただ詰め込ませる教育とは全く違う。

「あらゆる価値を説き聞かせる」

という教育。

いま、この教育が、ほぼない。

経済競争のための教育しかない。

でもそこにヒトの幸せはない。

豊かさや便利さは、幸せとは全然イコールじゃないからさ。

「でもお金なくて不便だったら生きていけない」

ってよく言われるけど、フードロス問題だけ取っても「人が人を苦しめてるだけ」なんだよ。

その風潮を作ったのは人間なんだよ。

目に見えない価値を見失った、差別の集合体の社会がね。

だから!それを甘んじて受け入れるな!

っていう、原点回帰ですよ。

存在=価値

……話戻すけど、じゃあ、あらゆる価値を説く教育ってなんなのか、どうすんのかってーと、別に学校の先生とか、偉い人や賢い人だけの話じゃないよ。

本当に、僕やあなた一人ひとりが、

「自分も人も全員尊い!みんな大切!みんな幸せに!」

って真実を、強い想い、意思を持って、意識して、生きてる中で触れるいろんな物や事の価値を、見出そうとすること。

価値のないものなんてないから。

なぜなら、

「存在してる」ってことが「絶対的な価値」だから。

その存在に気付くことも、めっちゃ大切。

目に見えないけど確かにある、命や心とか、人の関係性や流れ、自然現象、微生物、空間、時間とか。

そういったことの意味や価値を見ようとする、考えることで、さらにいろんな視点から物事を捉えれるようになる。

もちろん、普通の勉強も大切だけど、それ以上に「目に見えないけど確かにあるもの」にどれだけ気づけるかが、人生の豊かさに直結する。

気付けば気付くほど、どんどん幸せになってく。

そして、その気付いた価値や意味を、自分だけで終わらせるんじゃなくて、人にも伝えてくことが、これすなわち「教育」やねん。

最後にまとめると、

「人がまだ知らない、いろんな見えないものの価値を、知ったり気付いたり学んだり教え合う」

ってことが、

「人がありのまま人を愛するために一番必要・重要・大切」

ってことです。

自分から自分、自分から他人、他人から自分、全てね。

言わずもがな、学校教育も、早くコレを重点的にしないと、国がどんどん衰退していってる。

国とは言っても、その実、ヒトの集合体やからね。

一人ひとりが変わらないと、社会も国も変わらないのは必然。

目に見えない、普段は気付かないところ、すぐ近くにも極大の価値がたくさんある。

それにどれだけ気付けるか、見出せるか。

人生は、そのためにこそある。

余談として、美味しいもん食べて楽しいことして面白いことで笑って……っていう、相対的な価値ってのも、心健やかに生きるためには大切。

ただ、その相対的な価値は「人を消費することによってもたらされた価値」って事実を忘れずに、心から感謝できたら、最高に素晴らしいね。

またでbye。

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