愛ってなんぞや?心にダムはあるのかい?()

心の道しるべ

 

タイトルみたいなセリフばっか言ってるとほんま年齢バレバレやなぁ。

 

二十歳くらいの時は、愛について話すどころか、愛って言葉を使うことも何か恥ずかしかった。

 

恥ずかしいっていうか、なんつーか、自分みたいな若造が、そんな大それたテーマに言及することすらおこがましいというか、畏れ多いというか、そんなふうに思ってたのね。

 

 

けど、アラサーも後半ともなると、それなりにクライマックスな経験をたくさんしてきてるわけやん。(自分で言うな)

 

 

大切な人らが死にかけたり、事件や事故に遭ったり、自分が死にかけたり、昼ドラもびっくりな裏切りや騙しに遭ったりさ。

 

 

そうやって生きてる中で、当然自分の取るべき言動や行動を選択する必要が、その時々であるわけやん。

 

どういうふうにしたら、問題が解決するかとか、人を救えるかとか、笑顔にできるかとか、傷付けずに済むかとか。

 

深く掘り下げて考えていくと、人間が人間について考える時に辿り着くところって、大体一緒やねんな。

 

抱えてる苦悩や問題が、誰のどんなことであってもさ。

 

生老病死とか心とか、時間や空間とか、シックスセンスとか、愛とか、そういうことやん。

 

 

例に漏れず僕も、ある時、愛についてめちゃくちゃ深く掘り下げて考えたことがあってさ。

 

その時にわかったのは、愛って、何か特別だったり荘厳で神聖で希少で……みたいなイメージがある言葉やと思うけど、実は、愛ほどありふれてて、溢れてて、普遍的で、簡単なもんは他にねえなって答えに辿り着いてん。

 

 

 

まず、言葉の意味を辞書で調べたねん。

 

愛する → 慈しむこと

 

って出てきてんな。

 

これまた難儀な言葉が出てきたわして。()

 

また辞書で調べるやん。

 

慈しむ → 大切にすること

 

うんうん、まあまあ簡単になってきたやんって思うやん??

 

いやいや、全然わからんって(笑)

 

大切にするって何よ、っていう。

 

また調べるやん。

 

大切にする → 価値あるものを丁寧に扱うこと

 

 

……ここらへんまで来てやっと、少し答えに近づいた気がしてんな。

 

価値あるものを丁寧に扱うこと is 愛する やん。

 

する ってのは動詞やから、省いて愛だけにすると、

 

何かに価値を感じて、その価値を丁寧に扱う気持ち

 

が、愛やねんな。

 

つまり、愛ってのは未然形なわけやねん。

 

何か現実でどうのこうのというより、価値に対する姿勢や思考や思想や心情や状態のことを、愛っていうわけやねん。

 

でもここで、またやっぱり疑問が出てくんねんな。

 

人間が人間を愛するにあたって、人間の価値ってなんぞや?ってなるわけや。

 

 

おもしろいよな。

 

愛について考えてたのに、この段階では人間の価値について思考を巡らせてるねんで。

 

 

愛が何かわからんかった時点では、まさか思考のプロセスが人間の価値を経由するなんて思ってもない。

 

だからこそ「答えを追求する」ってめっちゃ大事やねん。

 

新しい発見、新しい知識を得る喜び、迷いが晴れる安心感、それによって得られる自信や確信、そこからの行動、全部が生きる糧になるからさ。

 

 

 

───また脱線してしまった。

 

そう、人を愛するってなんなのか。

 

人の価値を丁寧に扱うって、どういうことなのか。

 

人の価値ってなんなのか。

 

これがわからないと、人を愛することなんて出来ないわけやん。

 

サッカーのルール知らん人がサッカーでけへんのと一緒でさ。

 

 

けどこのエントリーでは、愛が何かを説明したかっただけやから、じゃあ実際にどうすることが「愛する」ってことなのかは、別の機会に。

 

 

またでbye。

 

 

 

 

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Posted by tkhtzzz