偏見の捨て方・偏見の見抜き方
偏見ってのは、文字通り偏った見方のことやねんけど、実は、偏見ほど「偏ってない見方」ってなくて。
どういうことかと言うと、この偏見って文字通りならば、100%か0%か……ってことになるやん??
けど、世に溢れてる偏見ってのは、おもしろいことに、100%と0%を判断できない人たちの1~99%のモノサシのことやねん。
つまり、この言葉そのものが矛盾してるねんな。今気付いてんけど。(?)
ということは、偏見の捨て方・見抜き方ってのは、一言で表すと、
偏りきること
やねん。
まず、自分の言ってることや考えが、本当に100% or 0%なのかを考えること。
100%、人間なら誰にでも当てはまるか、100%、何度繰り返しても誰がやっても完全に同じことが起こるかどうか。
この「偏らせきること」によって、偏見がなくなる。
男なら、女なら、子どもなら、老人なら、社会人なら、学生なら、○○の職業なら、〇〇の学校なら、病気なら、障害なら、健康なら、金持ちなら、貧乏なら、○○の国なら、○○の生まれなら…………etc。
絶対に100%当てはまるのか。
これは、どんな知識や情報にも言えること。
この世に、絶対とか完全とか言えることってめちゃくちゃ少ない。
逆に言うと、偏りきってないことがほとんど。
だから、真実はいつも1つとか、現実は至ってシンプルって言葉通り、実は答えって簡単で少ないねん。
そして目にする・耳にする知識や情報のほとんどが、1~99%の偏りきってないことやねん。
よく目を凝らして。
よく耳を澄まして。
自分の心と向き合って。
その考えは、情報は、言動は、行動は、しっかりと偏りきってるか??
しっかりと「主語の全て」が当てはまってるか??
個人の感想になってないか??
事実 と 真実 を混同してないか??
常にそう問うところに、偏見、引いては差別を捨てる・見抜く・無くす秘訣がある。