アスペルガーは寂しくない?

善意を持つサイコパスとして有名(?)なアスペルガー、もとい高機能自閉症、もとい自閉症スペクトラム。

僕自身は、アスペは自分で自分を幸せにする天才やと自負するけども、それゆえに薄情に見られたり人付き合い悪く思われたり、根暗でつまらないぼっちやと思われることもしばしば。

結論から言うと、普通よりは圧倒的に寂しさを感じないと思うけど、全く感じないわけじゃない。

一方で周りの定型発達=普通?の人たちはと言うと、孤独に対して「寂しさ」を感じてる人が多いように見える。

所属意識とも言うんやろけど、誰かといつも繋がってたいとか、人と関わってたいとか、社会での自分の居場所を求めてるとかさ。

定型発達が……というわけではなさそうだけど、大体の人はそういうの持ってるんやろ??

僕自身も、必要とされることを唯一の自己価値とし続けて、死にたい人生送ってた人間やからそのへんはなんとなくわかるけど、少し違ってて。

自分は独りでも問題ないんだけど、ただ人に幸福感を与えたいっていう欲望を満たすために人を消費してた、みたいな感覚の方が大きい。

基本的には一人がラクで一人で居たいんだけど、元々は自尊心とか自己肯定感が僕もなかったから、それを満たすために誰かからの感謝や誰かの喜んでる姿が見たかったって感じ。

これはたぶん所属意識とは全然異なるものやと思うから、間違っても定型発達に「理解できるよ」とは言えない。

けど、ここで誤解があるねんな。

「薄情」は大きな誤解

強いね

寂しくないの?

一人でつらくないの?

たまにこう聞かれることがある。

自分で自分を幸せにできるなら、アスペルガーは寂しさを感じないんだよねって意図やろなぁ。

ここで大きな誤解がある気がする。

なんか「薄情」と思われてる気がする。

寂しさを感じないからって人のことをどうでもいいとは思ってないんだけど。

もっと言うと、誰かと過ごせること、誰かに愛されること、誰かに与えられること、誰かが居ることetcに対しては、本当に幸せを感じるし感謝できるし、楽しいし嬉しい。

そして何より、求められれば可能な限りで応じる。

だけど皮肉なことに、”求められること”を求めてくる人が居る。

「必要とされることを必要としてる人」のことは必要としない

簡単に言うと、誰かに必要とされたいと思ってる人のことはあまり必要としてない。

かつての僕のように、自分の心の空洞を埋めるために人に求められようとする人のことね。

純粋な善意や慈悲からじゃない「ギブ」は、結局は「テイク」が目的だから。

つまり、恩を着せる。

無意識でも見返りを望んで、それが得られなければ、不満や愚痴、攻撃、自己憐憫に変わる。

期待は必ず落胆を生む。

希望や期待なんて無意味で、大切なのは目的を明確にして手段を尽くすことだけ。

そうして訪れた結果が全て。

肯定も否定もなくて、それが全て。

だから僕は、「誰かに必要とされたいと思ってる人」を、”あまり必要としない”ねん。

そういう人らにとって、その”誰か”って、実は誰でも良いわけじゃないから。

前提条件付きのギブは実は消費

「特定の誰かに必要とされたくてしかも見返りはたくさん欲しい」

っていう、フタを開ければ厚かましい条件で必要とされたい人って、けっこうあぶなくて。

自分で自分を愛せてない、自分の命や存在を尊べず、自分と向き合えず、自分の価値を忘れた人間が、自分の足りない部分を与えてくれそうな人に「必要としてください」って要求してるって話。

ギブして与えた気になっても、実はテイク、奪う側になるか、よくてマッチ。イーブン。

そして、多くの人は、自分が何か(リソース)をひたすら切り売りしたり与えたり、苦労すれば結果が出たり報われたり見返りがあるなんて、妄想を抱いて生きてる。

つまり、寂しいとか言いながら、愛されたいとか言いながら、必要とされたいと言いながら、結局は全部自分で自分を愛せない心の空洞や欲望を誰かを消費することで「満たしてもらっている=与えられている」に過ぎないわけやねんな。

与えてるつもりになって、実のところ与えられてる。

そこに気付かないから、そういう人らは感謝できないし、傲慢になるし、周囲も離れていって、また孤独を感じてしまう悪循環。

自分の幸せを自分で掴み取るという当たり前

片や、極端なアスペルガーは「自分の目的=欲」に対して「達成する=満たす」ために、いろんなパターンや的確な手段を考えて、ただただ行動する。

要するに、他者をそこまで消費する必要がないってだけ。

そもそも、この世は因果応報で等価交換が道理で、自然すらもその法則から逃れられなくて、そのバランスが崩れると一気に不幸と破滅に突き進んでしまう。

人に求めて求めて求めて、人を消費して消費して消費して、そうやって生きたは良いけど、さて自分は誰に何を与えられる?

誰のどんな望みを叶えられる?

自分にどんな価値を提供する能力がある?

一方的に求めれば求めるほど、一方的に望めば望むほど、どんどん求められない人間になって、どんどん望まれない人間になる。

寂しい人はどんどん寂しくなっていく。

その怖さを、少なくとも僕は経験してるからこそ、自分の幸せをなるべく自分で得ようとする。

それでもやっぱり寂しさを感じる時はあって。

だからこそその価値の大きさを感じるし、感謝できたり、自分からもより多くを与えようと思える。

ギブアンドギブで自己完結ハッピー

最初から与えること、愛すること、人を尊ぶことが当たり前になってたら、そうそう人は離れていかない。

ギブアンドテイクは、返ってこないと成り立たないけど、ギブアンドギブなら自己完結できるし。

そして、ギブアンドギブの人間が2人居たら、お互いに与え合えるから、奪うことがなくて、マイナスがなくなって、プラスだらけになる。

だってギブ=my pleasure(我が喜び)が前提だから。

最高のサイクルやねん。

どれだけその生き方が現実的に大変かってのが互いにわかるからこそ、ねぎらい合えるし、より人の心を感じられる。

裏を返せば、さっきも書いたように、自分を満たすためだけに人に何かを求めるリスクをよく理解してる。

だからこそ、あまり寂しさは感じないけど、何か本当に純粋な善意を与えられた時、人一倍、恩や敬いを抱くし、一生忘れない。

まとめ

アスペルガーは、普通より圧倒的に寂しさを感じない。

でも、人のことをどうでもいいと思ってるわけじゃない。

アスペルガー全員がそうやとは言わないけど、僕自身がASDの2級ってことは、同じようなアスペは多いんじゃないかなって思う。

自分を満たすためだけに人を必要とすると、その後でもっと孤独になることが怖い。

そして、姑息だったり狡猾だったり、無意識な消費をしがちな人を、アスペルガーは時に本人よりも本人を理解していて、避ける。

人生で、一度も自分の肉眼で見れない人間は、自分自身。

「自分よりも人の方が自分をよく理解してる」なんて状況がザラ。

相当、真剣に自己理解しようと意識してる人じゃないと、寂しさを根本的に埋めることはできないんじゃないかな。

そして自己理解を放棄した人ほど、こう言いがち。

あなたに私の何がわかる……!

ギスギスして、知らず知らずのうちに、「誰かから与えられてる愛情」に気付けず、見逃してしまう。

寂しい時は正直に、

さみしい

ただ話したい

かまってくれ

って言った方がおトクだったりする。

変な意地張ったり、遠慮したりとか、損するだけやからさ。

https://takahitozzz.com/entry/2020/09/21/143742/asd-adhd-summarize

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