女性性に優しくするということにフェミニズムやLGBTQは関係ない

心の道しるべ

もうねぇ、かれこれツイッター歴も10年そこらになって、サービス登場した当時は広瀬香美さんがツイッター草創期を支えたというか、認知に一役買ってたこともあったなぁなんて思い出すわけやけど、最近のツイッターではストローマン論法つって、発信者が伝えたい意図を文章から汲み取れずに揚げ足とったり、論点ズレたまま人格攻撃したりってするアカウントが本当に多いなって感じることが増えたのよ。

政治批判とか、ヲタクへの趣味の偏見とか、マナーお化けとか、マウントマンとか、性根腐りきった釣り師とか、トンデモ医療流布とか、本当にいろんな人が居るってことが顕現していて。

その中に、例に漏れず「エセフェミ」とも言えるような種類の人も居て。

フェミニストってのをググると、女性拡張論者・女性に甘い男性、なんて検索結果のトップに出てくるんだけど、これについて少し思うことがあるから、だらだら書き留めておこうと思う。

人は人を大切に

僕のポリシーやモットーとしては、ブログ内でも再三に渡って宣言してるし、最近までツイッターのプロフにも書いてあったことだけど、

人間は人間を大切に

やねんな。

人間が存在できてるのは、もちろん自然の摂理とかバランスが保たれててってのは当然として、さらに前提で当たり前のことやけども、

人間が存在してるから

やねんな。

大事なことやからもう1回言っておこう。

人間が存在できてるのは人間が居るから

やねん。

これは、自分がとか他人がっていう主語の変化はなくて、どっちにしろ”人間”が……ってとこがミソね。

つまり、これまでもこれからも、人間が末永く存続して繁栄して発展して成長して幸福になるためには、とりあえず当たり前やけども人間が存在してやなあかんわけやん??

そして、前回のエントリーにも通じるけど、人間がより良く存在するためには、

生きてく上でのハードルをどんどんなくしていく

って作業の繰り返しが必須やねん。

これは、男が・女が・老人が・子どもが・健常者が・障害者が・病人が……みたいな主語の偏りは関係なくて、本当に何度も言うように”人間”が”人間”のハードルをなくしていかないとって意味やねんな。

女尊男卑??

さてここからが今回のテーマなんやけど、なんやかんや言いつつ、ハッキリと申し上げる。

僕は女性に甘い。

ってことはフェミニストなのか、って問いに対しては、食い気味で”No”なんですよ。

どういうことかと言うと、女性って主語、固まりを見たときに、女性特有のつらさってたくさんあるやん。

言わずもがなそれは、生理・妊娠・出産やんな。

ここで1つ前提を書いておくけど、僕自身は妊娠と出産に関しては、完全に女性の自由意志で選択できるものであって当然のことってスタンス。

厳密に言うと、人間の存在を否定しないなら、誰であっても己の人生の全てを自由意志で決定していいねんけど、ここでは割愛して、女性に限定するわ。

別に誰に望まれようが強いられようが、逆に誰に望まれてなかろうが強いられなかろうが、その選択自体を女性が自分の意思で自由に決定できる社会ってのが、あるべき姿やと考えてる。

しかも、妊娠や出産を選択した場合のリスクってのも、社会全体でなくしてくように努力していかないとあかんって思ってる。

そのリスク自体が、女性蔑視であったり、女性を「子どもを産み出す道具として扱う」っていうなんとも邪悪で非道な思想や風潮やねん。

そもそも遺伝子学的にも、多様性が種の保存や存続には不可欠ってのはもうわかってること。

いろんな人がありのままで生きられる社会こそ人間が目指すべき本当の”先進国”。

誰かが誰かの「在り方」を限定して、そっから外れたら攻撃するって人間が少なくない時点で、現代の日本は何が先進国やねん……とさえ思う。
※日本だけじゃないとは思うけど、僕は日本人で日本に住んでるから敢えて日本と言う。

体と心がバラバラでも違いはない

話の流れに乗じて言うと、性同一性障害もそうやんな。

別に、外見が男だろうが女だろうが、中身が男だろうが女だろうが、ミックスであろうが、そんなんその人の尊さや存在の価値ってものにはなんの関係もないから、正直どうだっていいのよ。

というところから掘り下げると、障害と言われてる当事者も、自分に障害があるってのを意識しすぎてる。

自意識過剰というか。

発達障害も精神障害も、ある程度は脳内の神経伝達物質の分泌量や種類に違いがあるくらいのことはわかってるけど、その診断基準のほとんどは臨床例からの統計やん。

特性や特徴っていう”結果”に対して名前を付けただけなのが病気や障害なわけで、根本的な原因とかって現代でも風邪すら解明されてないねんから、曖昧なもんなんやで。

でも、福祉としての受け皿というか、社会っていう組織の中で、障害という枠組みに入ってしまって、それを当事者が意識しすぎてしまうのは、もちろん社会的に「べき論」とも言える差別が横行してて、家でも学校でも仕事でも、家族でも友人でも恋人でも親戚でも同僚でも上司でもそこかしこに差別と偏見が存在してるからこそ、その中で育ってその中で生きてると自分のアイデンティティの不安定さがとても負い目になったりする価値観が刷り込まれてしまうし、その価値観で生きるからさらに拍車がかかるんだろうけど、ずーーーーーーーーっと手前にある絶対的な真実ってのは”全員人間”やからさ。

全員が日本人で、全員が人間で、全員が地球人で、全員が宇宙人やからさ。

人間は人間を大切にすればいい話で、性別や国籍や学歴や収入や産まれた場所や健康具合で何か対応が変わる時点で全部”人間差別”やねん。

これを言うとイメージしがちなのが、貧乏人や病人に優しくってことかもしれんけど、逆も一緒やからな?

貧乏人が裕福な人に優しくしなくていいかってそうじゃないし、病人は健康な人の体を気遣わなくていいのかってのもそうじゃないし。

人間なんだったら、人間の生きるハードルを下げるのが当たり前って話よ。

本当に苦しんでる人なら助けるのに理由なんか要らない

で、話をグイっと戻した時、矛盾が生じるって思わん??

僕はこんなことを言いながら、女性には特段優しいわけやから、それはどうなんって話やんな。

よく考えてみて。

生理・妊娠・出産って、ただ女性として産まれたってだけで不可避な身体的苦痛なわけやねん。

生理なんて、個体差はあれど約40年以上続くわけやん。50歳過ぎても閉経しない人も居るからさ。

立派な「ハンディキャップ」やねん。

なにせ、普通に生きてたら絶対に避けられないから。

薬を使って生理痛や諸々の身体症状を緩和したり、生理自体を止めたりはできるけど、それはホルモンバランスを始めとする様々な生体機能を人為的にいじるってことで、ただでさえ精神的にも不安定になりやすい上に外的な力でそれを操作するわけやから、その行為自体がリスクやし、どうしてそのリスクが生じるかと言うとそもそもが避けられないハンデやから、やねんな。

それに、完全に限局的にうまく作用する薬なんてもんは存在しないから、言わば”クスリのリスク”自体も生じてくるわけやねん。

そして、改めて生理について考えると、月の2~3割はずっと出血してるわけやん。

しかも多い日は、マジで失血死するんちゃう!?ってくらいの量が出る。

実際は、1度の月経期間で出る経血の量は、めちゃくちゃ多くても250ml程度らしく、恐らくそこには内臓の炎症部分からの浸出液とかも混じってるやろうから、血液だけの量としてはさらにもう少し少なくなるんちゃうかなって思うけど。

それでもきっと精神的に萎えるよな。

なんで萎えるってわかるかと言うと、僕自身、腸の内壁が剥離したことがあって、1ヶ月くらい大量に下血を繰り返したことがあるねんな。

目測では1回につき150mlくらいの血がダバダバ出てたわけやねんけど、生理に比べたらたったそれだけの量で、たったそれだけの期間でも、めっちゃ萎えたし激痛で憔悴しきったもん。

話戻るけど、生理は出血だけじゃなくてやっぱり食事の内容によっては貧血になったりもするやろし、吐き気があったり、じっとしてられないくらいの腹痛と腰痛があったり、全部が同時に襲いかかってくるんやろ。

子宮内膜症とかを発症してると、その痛みたるや、七転八倒するらしいやん。

マジで立派な障害やん……。

しかも耐えるも耐えられないも、抱えるも抱えないも選択できない。

女性として産まれただけで「運命にムリヤリ背負わされてる障害」なわけやねん。

そんなん、不憫すぎるって。

「子どもを産む能力」ってのが女性にしか与えられてないことも偉大で尊大なことやと思うけど、それにしたってシステム設計ミスかと思うくらいの大きなリスクを長年に渡って背負わされてるなんて、ほんまにかわいそう。

で、僕ら男性はと言うと、エロいこと考えてムラムラしたら自慰やセックスで射精して「あー気持ちよかった」ってなもんやん。

なんか、もう、情けなくなってくるねんなぁ。

いや、出すだけ出してハイ終わりじゃなくて、子ども出来たらちゃんと心から妻も子どもも愛して、当たり前に育児も家事もこなして……ってする男性ももちろん居るし、片や自然分娩でお腹痛めて産んだ女性でも虐待してしまうケースだってたくさんあるよ。

あるけどな、現実問題として、抱えてる身体的苦痛の総量からして、女性に比べて男性はなんと気楽で能天気な生き物なんやろうって、不甲斐ないというか情けないというか。

だから、せめてその生体機能や生殖機能についての知識を持ったり、精神的に不安定になりやすいっていう確かな性差を認識して、優しくありたいなぁ~と思うねん。

たとえば仮に、女性に生理がなくて、男性にだけ生理があったら、そりゃ男性のしんどさの量やしんどい時期が多いわけやから、男性に優しくする機会は増えるよ。

詰まるところ、男性だから女性だからって話ではなく”こけた人には肩を貸す”って言葉に全部集約されてるんですよ、僕の価値観の基盤って。

しかもそうすることが、論理的に考えて、人類が人類を幸せにするために最高効率で、合理的やってのはわかるやん。

社会全体がそろそろ、人間の人間に対するハードルってのを全撤廃する方向にシフトチェンジしていかないと、マジで国も世界も人類も未来もお先真っ暗やで、と強く思うわけです。

今後の子孫繁栄法(余談)

余談として、将来的には、女性が妊娠や出産をしてもしなくても、体外で受精して体外で育成して、320日経てば晴れて”新生児”と診断されて、退院して我が家に来る……みたいな世界になったら、女性として産まれたがゆえに否応なしに背負わされるリスクを多少なりとも低減できるのになぁ~と考えてる。

生理を完全に無くしてしまうには、遺伝子操作が必要になるから、また色々な新しい諸問題というか、身体症状はもちろんのこと、産むという行為自体がなくなる(してもしなくてもよくなる)わけやから、生命の尊厳ってものへの意識の変化も起こると思うと少々不安ではあるけど、「平等」という観点から考えれば、性差によって生じる不平等な身体的苦痛ってのは無くしていけたらいいのになって思うわけです。

またでbye。

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