ノウハウコレクターで終わっちゃう人は、思考量と実践量を増やそう

心の道しるべ

よく「頭ではわかってるんだけど、なかなかうまくいかない」という言葉を耳にする。

でも、実はそれは本当の意味では全然理解してないって話。

前提として、こういう話の時は、「集めた知識や方法を問題解決や目的達成に活かしたい」っていう、ノウハウコレクターの欲望が根元にはあるねんな。

で、ここでの「理解する」っていうのは、その欲望を満たせるという明確な根拠を得たり、圧倒的な自信を身につけたってまさに実感するって意味合いやねん。

つまり、頭ではわかっててその知識や方法が活かせないってのは、実は、知識や方法が中抜けしてて足りてなくて、実践ができなくて、頭でも明確にわかってないってことだから実感にならないってことやねん。

パズルのピースも足りてないし、パズルを解く思考の量も足りてないし、どちらが足りてたとしても実際にパズルを手に持って当てはめてみるって実践の量もないことには最終的な実感はできなくて当たり前って言ったら良いかな。

僕自身、全然わからないことやめちゃくちゃ大きな不安や迷いや悩みってもんが生じた時に、ウジウジとその場で二の足を踏んだり愚痴るってのは極力避けて、一にも二にもまずは圧倒的な知識に触れる。

全部を吸収できなくていいから、インプットする。

そして脳みそも体も疲れて眠くなるまで、延々と思考実験、トラブルシューティングを繰り返す。

専門家の話でもいいし、素人の話でもいいし、眉唾でも良いし、誰かの感想でも良いし、科学的根拠があるでも良いし、とにかく圧倒的な情報を集めた上で、同時進行でも後からでも良いから同じだけ思考しまくってアウトプットも同じだけするわけやねん。

んで、そんな出どころがよくわからんかったり根拠が不明な情報まで集めて、一体なんのためなのかと言うと、点を増やす作業なんですよ。

「はっ?」と思うかもしれんけど、僕らが何か答えを探してる時に忘れてはいけないのは、答えってのは全部辻褄が合ってて矛盾が何一つないことを言うのね。

辻褄が合うってのは、どこを取ってもどこから見てもどう解釈しても間違いがなくて、例外もないってこと。

それをイメージ的に想像すると、蜘蛛の巣のように張り巡らされた、巨大だけれども確かにたった一つのネットワークなんですよ。

無数の点と点が、無数の線で結び付いて、それがずーーーーっと繰り返されて一つの大きな網になる。

そこでやっと「答え」と呼べるものが完成して、それを現実で自分が実践する時には、なんの不安も迷いもないほどに完璧な答えになってるってこと。

だって、どうしたらこうなるってわかってたら不安にもなりようがないやん?

そもそも失敗して気にするのも自意識過剰やから、なんでもいいわけやし。

すると期待とか欲望とかそんな軽いもんは吹き飛んで、残るのは「確信」と「うまくいく実感」だけなんですよ。

成功したらそのまま成功、失敗したら「失敗するケースの学習を得た」ということで成功、なんにせよ成功しかないわけやから。

不安や悩みってのは、絶対的に自分にはわからないことがある(足らない知識がある)から生じるねん。

だから、「頭ではわかってるけど」云々って言葉はそう安々と言うもんじゃないっていつも自分で思う。

人が何かを100%理解する時ってのは、そりゃ気の遠くなるような思考実験や情報収集や勉強が必要になって、ある意味では血の滲むような努力なんて表現をしたりするんかもしれへん。

だけど、本当に人間が何かを得たいとか成したいって思う時、そんな努力も努力なんて呼ばなくていいほど「やりたいことの一部」になってるはずやし、裏を返せば、二の足を踏んだり尻込みしてる時点で、その先にある何かしらの問題解決や目標達成にはそこまで意欲的じゃないって真実を受け入れることも、時に大切やと思う。

だって、迷って悩んで愚痴って不安になってる間にも、二度と戻ってこない1秒がどんどん「後悔の過去」となって積み重なっていってるんだから。

またでbye。

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Posted by tkhtzzz