なんかすげぇエスパーとか読心術みたいな仰々しいタイトルだけど、別にそんな大したことはなくて、ドライアイでもないのにめちゃくちゃまばたきが多い人とか、全然こちらと目を合わせないのに普通に振る舞って会話できる人って居るやん?
経験上、発達障害の気質が強いなぁって感じる。
いや、特に何も調べたわけではないねんけど、アスペもアラサーともなると、持ち前の記憶力で子どもの頃から会ったたくさんの人達の一挙手一投足を思い返してみて、共通項が多いなぁと感じるからさ。
そして何を隠そう、僕自身ももちろん、人と目線を合わせないしまばたきが記者会見のカメラのフラッシュですかってくらい多いのよ。
「人と目を合わせないなんて失敬なやつだ」って批判はちょっと待って。話を聞いてくれ。(誰も聞かへん言うてへんがな)
よく、小さい頃から、
「人の話はしっかり目を見て聞きましょう」
って大人たちからさんざん言われたことある人も多いと思うんやけど、ここでまだ判明してなかったアスペルガーを存分に発揮した僕は、ずーーっと人と話をする時に、目を1秒も逸らすことなく合わせ続けて話を聞くようにしてたのね。
大人が言うことは全部正しくて、それを忠実に守らないとって思ってた僕は、文字通り人の目を見て話を聞く癖がついたんだけど、ある時、そんなに仲良くない人から、
「……怖いよ、話しにくいよ」
って言われて。
もちろん、普通に考えたらわかることなんだけど、なにせ「自分はあなたを信頼してます、真剣に話聞いてます、理解しようと努力してます」っていう全身全霊の誠意を見せるって意味で、心ごと視線ごと相手の目を注視するくらいには「ガン見」やってん。
怖いやろなぁ……日によっては僕のまぶたの彫りが深いから、めっちゃ鋭い眼光で話してるように感じたと思うわ。()
そんなこんなで、良くないとは思いつつ、大人になるにつれて真剣なタイミングって増えるから、そのたびに真剣に話を聞いて怖いって言われるようになって、改善せねばならんなぁって思った時期があって。
でもね、これまたアスペの不器用なところで、そんな絶妙な調節とかできないわけで。
察しの良い人ならもうわかると思うけど、今度は全く目を合わせなくなったってわけです。
よく、模擬面接とかで、
「相手の目じゃなくて、口元やネクタイの結び目やシャツの一番上のボタンくらいに目線をやって話すと、相手に威圧感を与えなくていいよ」
みたいな助言をされたことがあるんだけど、ここでまたアスペ発動して、
いやいやいやいやいや昔から大人たちが口酸っぱく再三注意してきたことと違うこと言ってまっせ!ってなる。
もうね、矛盾が解消されないと発狂しそうなほどストレス。
で、中には、
「数秒に1回くらい目を合わせるだけで充分なんだよ」
なんて言う人も居た。
……いやいやいやいや、それドコ情報やねん、ナニ情報やねん、その理由も明確に教えてくれよって、その都度悩んだりして。
ようやく僕は気付くわけです。
「誰もが自分の発言に責任を持とうなんて意識してないし、その結果、人がどんな不利益を被ろうとも責任を負うつもりはないみたいやし、なのに絶対じゃないことを絶対かのように豪語して断言して、平気な顔してるんだ」
って。
大人は子どもに”嘘をつくな”って言うけど、社会なんて嘘だらけで、正直に誠実に全員と向き合って、正しさと善を維持しようと生きてるやつなんてマイノリティで、それをどんな状況でも貫こうとしようもんなら、異端視されて仲間はずれにされて敵視されて疎まれて、あっという間に四面楚歌に陥るって。
だけどこれに気付いたのはもうすでに大人になってからのことで、それまで頑なに純粋に大人の言うことを信じて、人の言うこと全てに嘘がないと信じて生きてきた未成年時代は、対人関係での悩みが絶えることは全くなくて。
その結果として抑うつやPTSDとかって二次的な精神疾患を抱えたこともあって、それが全部アスペルガーの自己責任って言うのは絶対に早計やと思うねんな。
マジで嘘つくなよって感じ……(笑)
思ってもないことを言ってみたり、本心を隠して遠回しにそれとなく濁してみたり、そんな虚像のままで生きて二度と戻らん後悔の1秒を積み重ねてく人生に、一体なんのメリットがあるんですかって感じやんξ
──話は逸れたけど、人の目をガン見する人ってのは、真面目であればあるほどアスペの可能性があるんじゃなかろうかと。
そしてまばたきに関しても、僕は高速シャッターばりで、多少はドライアイってのもあるんだけど、意識して開き続けない限り、10秒間で20回近くまばたきしてる時もある。
これは、脳みそがどれくらい動いてるかの指標になって、思考があっちゃこっちゃ行ってる時ほどそうなる。
つまり多動やね。
今は肉体的な不調の関係で多動はかなりおさまってるんだけど、元々は常に動き続けてたくて、じっとしていられない質なんですよ。
まばたきに関しては僕がそうだからみんなもそう、っていう安直な感想じゃなくて、子どもの頃とかでもクラスに1~2人くらいはめっちゃまばたきする子おったと思うねん。
んでよくよく考えてみると、その子らってめっちゃしゃべるの速かったり、落ち着きがなかったり、中学とかやと保健室登校してたり、やっぱちょっと周りと毛色が違う人が多かってんな。
このブログとかラジオでも何回も言ってる通り、多動とかアスペってのは、能力をある1箇所に全振りした特化型で、その能力をうまく活かせるような環境で育ったり生きられたら、定型発達以上に優秀な結果を残せたりする。
得意分野を伸ばしてこそ現代の技術や社会に貢献できるってもんやから、ギフテッドやねん。選ばれし者というか。
だけど、義務教育って「差をなくす教育」をしてて個性なんて粉々にする。
人は、6歳までに人格形成されるらしいし、得意なことを超一流に伸ばすために何かを始めたり触れる年齢リミットってのは1歳とか2歳までとも言われるくらい、乳幼児期の教育がその子の人生の難易度を決める勝負とも言っていい。
周囲の大人たちが「平凡な普通な子」にこだわって、その子の才能や特性に気付かず、または目をそむけたままだと、結局は発達障害でいくら「自分のフィールド外」で努力しても社会適応できないまま育って、仮にできたとしてもとてつもないストレスに苛まれて精神を患ってしまったりって、何も良い結果をもたらさない。
だから、少しでも兆候とか気質を知ることによって、未来を担う子どもたちの個性に早くに気付いてあげられるし、そしたら他の誰にもできないような素晴らしい能力を開花させられる。
そういう知識や風潮が、もっともっと広まってくれたらいいなと、本当に心底思うよ。
多様性を求める社会なら尚更ね。
またでbye。
