停滞
2月、自分の進み具合が、自分の設定した量に満たない。
端的に、全然動けてない。
自分が動いた分、人生も動く。
自分のためだけなら、生きてるだけで垂涎ものの幸せで、日々が感謝で埋め尽くされているのはもうブレなくなった。
でも、人の幸せのためとなると、そうはいかなくて。
人の心を救うために、希死念慮を無くすために、その痛ましい心を全て理解できるようになったことは、唯一無二のスキルやからありがたいことやと思うけど、同時に、その悲惨な心に「幸せ=自己肯定感」を気付かせる・思い出させることがどれだけ難しいことなのか、どれだけ気が遠くなるほどの時間が必要か、どれだけ自分の勇気と根気と真心と責任感が必要か、重々承知してるからこそ、ためらうし、恐れるし、紙一重で揺れる。
死に向かった心の全てを理解・共感しながらも、そういう心に実際に接する時は、穏やかに、大らかに、力強く、優しく、を努め続けるのがとても難しい。
人の無知や悪意や敵意に、もう絶対に関わるものかと一度は決めた自分が、そういうものの矢面に立たないと成し得ない重要なことに、自分にしかできないことに、また目を向けてしまったのが全ての始まりやねんけど。
健康な人間と同じフィールドで、普通を超える結果を残すために「自分ならできる」を繰り返し続けて倒れた過ちを、忘れたわけじゃない。
だから、最弱の自分やできない自分、無力な自分を愛することを、忘れないようにしたい。