いやはや、社会不適合者と呼ばれてるアスペルガーですけどもねー、こんな僕らでもめちゃくちゃ仲良しな人達ってのはもちろん居るわけで、今日はその人達の共通点でも挙げようかな、と。
話が途切れずに永遠に続く
僕らは、相性が良い人間と話すと、一切話題を途切れさせずに、しかも笑いも交えて、ジョークも交えて、比喩なんかも混ぜて、本当に飽きない会話をすることができるねん。
それは過去記事にも書いた通り、互いに会話の着地点を先読みしながら、記憶を辿って連想できるワードを探して、直接的な言葉を使わずに何かを表現して、その共通認識を有してること自体をおもしろがる、というプロセスを踏めるから。
お笑いの技術的なことにもダイレクトに通じることで、そのプロセス自体がおもしろいから、話題とかテーマってのは本当になんでもいいんですよ。
話し始めたら最後、自然に大喜利や漫才が始まってる……みたいな感覚ね。
で、芸人さん達がすごいのは、それを一般の人達が理解できるレベルまで下げて、より多くのニーズを生み出して、みんなで共感し合えるように構築できるところ。
僕らはそれが「めんどう」と感じてしまって、例えば共通認識を持てずに置いてけぼりになってる人が居ても、そこの理解力に合わせる能力が欠如してる。
なかなかどうして、自己中というか、悠々自適な部分で、いかんなぁと日々改善する意識を持ってるわけなんです。
類は友を呼ぶ
いわゆる類友ってやつだけど、ASD専門医が話してくれた衝撃の事実は、
「アスペルガーの友達が務まるのはアスペルガーしか居ない」
ってこと。
単純に考えれば確かにその通りやねんけど、これだけじゃあまりにもカンタン過ぎておもしろくないから、もう少し掘り下げよう。
アスペルガーは、言わずもがな考え方が特殊で、思考が複雑だったり深すぎたりして、周りに合わせられないし、周りも合わせられないってのは周知の事実なわけで。
それはもう、脳の構造上仕方のないことやから、障害と言われてるんやんな。
ってことは、定型発達(普通)の人が、発達障害の人に合わせ続けるのは不可能なわけで、もしそんなことをしたらそれこそ気が狂うくらいの精神的負担を負うことになるねん。
要は「病む」ってやつやね。
ところがどっこい、さっき書いたように、そんな僕らと延々と接し続けて、しかもそれが昇天しそうなくらい楽しいと思える人が居る。
それがどういう人かというのが、他でもない、同じアスペルガー同士なわけですよ。
「細胞レベルで恋してる?」じゃないけど、「脳みそレベルでシンクロしてる?」みたいなことですよ、えぇ。
無限に拡がる思考の大海、目には見えない会話の着地点を見事にシンクロさせる快感、いかにトリッキーに着地をするかを読み合うスリル……こういうやり取りが、もうご褒美そのものなんですよ。無限に。
アスペルガーを好きになるのはアスペルガー……だけではない!?
ここまで読んで、じゃあ僕らは完全に自閉の世界でしか生きられず、一生社会や定型の人達に適合することなく、誰からも好かれずに生きていかなければならないのかって思うかもやけど、実はそうではなく、まだもう1つの重要かつ驚きの真実があるねん。
さっきの、僕の主治医だったASD専門医の言葉には更に続きがあって、
「アスペルガーとボーダーは相性がピッタリなんですよ!!」
とのこと。
ボーダーってなんぞや?スノーボード?スケートボード?ストライプの太い版みたいな柄の服?
いやいやいや、そうではなくて。
精神医学界隈でのボーダーというのは、
境界性人格障害のこと。これは英名だと、
Borderline Personality Disorder
と表記し、BPDとかボーダーと略したりする。
つまり、高機能自閉症と境界性人格障害の人間は相性がピッタリ、ということ。
じゃあ、そのボーダーってのはどういう特徴があるかというと、
・白か黒、ハッキリしたい
・見捨てられ不安がある
・理想化(崇拝)と、こき下ろし(落胆や蔑視)が極端
・知的、詩的
・愛情を繋ぎ止めておくための異常な努力
・愛情を確認するための試し行為の連続
とかが挙げられる。
理解力のある人はここで気付くと思うけど、少しサイコパスを感じるものの、「純粋さ」を帯びてるのがわかる。
純粋さと言うと、アスペルガーの専売特許である異常な知的好奇心にも通じるところがあって、僕らはどこまでも論理と合理で考えるから、ある意味では考え方の芯や基準みたいなものがハッキリしてる節がある。
一方でボーダーは、そこまで論理的思考を得意としてるわけじゃないから、自分自身の極端なより好みを正当性を証明するのが難しいんじゃないかなぁと思う。これは完全に私見やねんけど。
そこで、同じ方向性やのに誰に咎められても理路整然と貫くアスペルガーに、ある種の憧れや崇拝的な目を向けてしまうんじゃなかろうかと。
そういう経験は今まで数知れずあったから、あながち間違いではない自負はある。
だから、一度ハマったらとことん好かれるし、それはこと恋愛においてだけでなく、老若男女問わずね。
でも、僕らはと言うと、誰か一人に対してだけ特別な価値観や基準を用意することができない不器用な脳みそゆえ、恋愛においては、人生を誰か一人のためだけに使うってことができない。
要は、楽しいことは全部楽しいし、したいことは全部したいし、イヤなことは何がなんでもイヤで、その基準から外れた行為ってのは、もろに体調の変化として拒絶反応を起こしてしまう。
つまり、そういう、ボーダーが憧れるアスペルガーの要素そのものが、ボーダーを苦しめることになるねん。
こうなると、地獄ですよ。
ボーダーに、ナルシシズム(自己愛)がプラスされて、メンヘラ街道まっしぐらになって、毎日がトラブル続きになりますゆえご注意を。
アスペルガーとボーダーは紙一重??
こっからは完全に個人的な偏見で申し訳ないんやけど、どうも、アスペとボーダーの違いって、自尊心があるかないかだけなんじゃないかなぁと、かつての経験から思うわけです。
というのも、さっき挙げたボーダーの特徴、かつての自分が全て当てはまっていたから。
これまでの記事を読んでくれてた人は解ると思うけど、過去の僕は自尊心がほぼゼロで、常に人からの感謝や好意ってのを感じてないと自分に価値を見出だせなくて、そのために異常なほど粉骨砕身というか、努力というか、執着してたんですよ。
それで倒れて死にかけたり、死のうとしたわけなんだけど、これってまんまボーダーの特徴やねんね。
つまり、こういった特徴に、完全なる自己肯定感ってのをプラスすると、見事にアスペルガー然とする思考や価値観になる。
って考えると、社会に適応するってことは、自尊心を奪われたり個性を殺して思考停止するってことやから、元々アスペルガーやった人が右に習えの社会に適応しようとしたり、機能不全家庭で自尊心を奪われ続けて、それでも脳の構造が違うから完璧には適応できなくて、どうしても本質的な考え方をやめることができなくて、その定型と発達の「境界」が曖昧になることによってボーダー化して生きにくくなるんちゃうかな~~と。
それに、最近は「尋常じゃない努力によって社会に適応したように見せられるアスペの女性」が多いらしいって話も聞くし、実際は男性の方が自閉は多いって聞くけど、本当のところはどうなんかなって感じ。
いやほんと、経験上は、100%この論理が当てはまるから、是非、どっかの精神科医さんが検証してくれると嬉しいなぁと思うね。
とにもかくにも、僕らアスペルガーから離れない人、近づける人、仲良くしたいと思う人、仲が良い人、全員が「アスペかボーダー」で間違いないと思われまっせー。
ただ、「少し離れたところから見てたい」とかって人は、そういう要素は持ちつつも「定型側の人間」やから、僕らからすると一方的に消費されまくってる「檻の中の珍獣」みたいな気持ちになって、複雑やってりもするんだよ。
またでBye!