何かを徹底的に集めて残してしまう癖はアスペルガー?

発達・2E,雑記

片付けられない→多動、集める・残す・捨てられない→アスペルガー?

 

ラジオでも話してたとおり、最近急ピッチで進めてるのは「反響音の少ない録音環境の確保」。

新しいメロディが浮かんだ、コーラスラインの録り溜め、今この感情がベストの状態……などなど、思い立ったらすぐに「質の良い素材」を録音できる環境がほしいねん。

だけど、それなりのスタジオが近くになかったり、あったとしても頻繁に通うとなるとやっぱりコスパが悪い。自前で環境を構築しないと、ってことで、本宅の自室のクローゼットを録音ブース化する作業を進めてるわけやねんけど、まずぶち当たる問題が「整理整頓」ね。

中の物を分別して、要るもの要らないものを取捨選択してく作業。

現代、「片付けられない人」というのが話題になっていて、そういう人たちは総じて「ADHD(注意欠落多動性障害)」と言われたりする。

自分自身もそういう節はあるものの、どちらかと言うと体調の関係で、徹底的にキレイな環境にしておかないと死んでしまうという理由から必要に迫られる形で、掃除は不得意ではなくなった。

潔癖症の人たちというのは「そうしておかないと身体的に何かが起こるわけではないけど気になって仕方ない」って人達のことを言うけど、自分の場合は「綺麗にしとかないとガチでヤバイ」って理由やから、ある意味「真の潔癖」とも言える。

むしろ、潔癖症の人たちの考えは非科学的だったりするから、彼らが必死にやってることって「実は逆に汚かったり感染症を惹起する」みたいなことが多かったりする。

あまりこれについて触れ出すと脱線し過ぎて本題になかなか入れないから割愛するけど、とにかく自分は掃除は不得意ではないってことだけ強調しておきたい。

ただ、今回自分でも色々考えるきっかけになったのは、「掃除を始めても途中で完全にストップしてしまう現象」。

どういうことかと言うと、もしかしたらあなたも経験あるかもしれんけど、
「さあ!掃除しよう!」
と決意を固めて始めたはずなのに、片付けてる最中に昔の写真とか手紙、本、漫画、ゲーム、DVDを発見して、思い出や記憶が蘇って懐かしんで、それらに興じてしまったり。

今回、クローゼットの整理中にこんなものを見つけた。

そう、写真やら手紙やら。

これはほんの一部なんだけど、色々と見返してみると、一番古いものでは年齢が一桁の頃の物まであった。

 

 

 

思い起こせば常軌を逸した収集癖

 

自分自身、このサイトの至るところでも言ってる通り、小さい頃から少し奇異な人生を送ってきてたから、その分、人からこういったものを贈られる機会が多かった。

そして僕は、贈られた当時を振り返ったら、正直、薄情に思えるかもしれないけどそんなに心から溢れる感謝の気持ちってなくて、多くの人は「困ってる人間を助けて励ましてる善意ある優しい自分」に自己陶酔してるだけって、幼少期から解ってしまってた。

あとは、誰かに言われたから仕方なく、とか、みんながそうしてるから空気を読んで……とかって人が多い。

つまり、一方的に消費されてるってことやから、非常にしんどく感じる。

だから、本当にその人の内発的動機で贈られたかどうかってのは文章を読んだり、その後の接し方や言葉の選び方で全部すぐに解ってしまう。

そんなこんなで、未だに人から何かを贈られるのってとても苦手で、自分からは色々贈り物をしたりするけど、それに対するお返しとかも予めハッキリ断る。

それでも生きているとやっぱり贈り物をされる機会というのは避けられないもんで、更には本当に自分を愛してくれてる人達というのは本当に見返りを求めずにたくさんの物や行動や言葉を与えてくれるから、そのたびに萎縮したり複雑な気持ちを抱いたりする。

そして、贈られた物は永遠に捨てられる気がしない。

薄情なことを言いつつも、たとえどんな動機にせよ、僅かでも相手が自分のことを考えていたという事実は紛れもなく「愛」だから、月日が流れてその人達に心変わりが起こったり疎遠になっていたとしても、物として残っている愛情を捨てることができない。

その他は、今ではかなりミニマリスト然としていて、○年使ってないものはゴミ、とか断捨離できるんだけど、人から貰った物にだけはどうしてもその非情を向けられない。

昔は、絶対に必要のないものでも「もったいない」とか「思い出が……」とか言って残してしまっていたし、その数も膨大だった。

好きなキャラクターのカードとかソフビ人形が数百体とか、昔の限定タバコの箱を折り畳んで何百枚も、何年もストックしたりとか。
十年くらい前のタバコの箱

 

恋愛で言えば「思い出の品や画像やメール」なんてのも、保管してたりした。しかもデータはしっかり詳細にフォルダ分けして、時にフォルダに鍵を付けたり。

今思えば、女々しさとかいう次元じゃなく狂気を感じるほどの収集癖やったなぁと。

今回の、色んな方々からの手紙・写真類だけでも、大きめの衣装ケースの半分を占領していて、アルバムとかは別であるわけやから、収納がいくらあっても足りないよね。

 

本当に収集癖は克服できないのか

 

そこで、僕自身が最近自分に言い聞かせてるのは、
「物として残さないと消えてしまうようなちっぽけな思い出なのか??」
ということ。

そんなに思い入れがあって自分にとって大切な記憶なんだったら、物なんか無くても強く強く脳に焼き付いてるし、忘れようと思っても忘れられないんじゃないの?っていう。

そういうふうに考えると、逆に「これは残しておきたいなぁ」と思う時って、「普段は忘れてるようなことを思い出した時」なんだなって。

おかしいよね。ちっぽけすぎる。自分の記憶を甘く見すぎてるというか。

もっと言うと、贈り物をしてくれた人達にも失礼な話なんだよね。

「普段は忘れてるけど、物を見て思い出したよ」ってさ。その程度かよって。

それならもっと自分の心や気持ちに責任を持って、その人達の存在や過去、思い出、記憶を絶対に忘れないようにする方がよっぽど人の心を大切にしてるやんって。

あとは「十数年前の物を捨てたくらいで、怒ったり悲しんだりするような相手はそれこそ自己憐憫と自己陶酔の塊で、心と心の信頼など微塵もないわ」
ってこと。

それがわかってからは、結構ためらいなく、経年劣化で汚れたりして綺麗にならないものとか、使えなくなった物とか、ガンガン捨てられるようになった。

 

 

 

収集癖とは言っても本当に好きな物なら捨てる必要は全くない

 

注意しなきゃいけないのは、ここまで書いた「捨てられない」はあくまでも普段は忘れていて、発見した時に思い出して懐古してしまうような物であって、全然違うパターンの「捨てられない」があることを忘れちゃいけない。

それは「大好きな物コレクションに囲まれて幸せを感じる」というもの。

こういう場合は決して「要らないものではない」し、なんなら人生をより楽しく健やかに過ごすためにはマストアイテムやから、捨てるという選択肢を削除してしまっていいと思う。

他人にとって「ゴミ同然」でも当人にとっては「宝物」ってケースがあるのは世の常。健全。普通。

「人の好きな物」を否定する権利は誰にもないし、ましてや勝手に捨てるなど論外。

自分の好きな物だけに囲まれて生きる人生、それは本当に素晴らしいし素敵なこと。
そうやって生きることで心身も健やかになるし、心が穏やかになれば他人にも優しくできるっていう最高のループが出来上がるから、どんどん奨励したいと思う。

 

 

 

最後に

僕が掃除中に見つけた上記の手紙や写真類は、現在でも接点がある人のは保存しておいて、接点がなくなった人は名前だけ控えて後は捨てるという結論になった。
「収集癖があるのはアスペルガーのファクター」と臨床心理士や専門医には言われたけど、自分の中で本当は一体何を大切にしているのかを見極めて、自分なりに線引きをしていくことができれば、その収集癖は自由にコントロールできるし、自分にとってプラスにもマイナスにもできる、という事がわかった出来事でしたーん。

 

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Posted by tkhtzzz