自分にとっての音楽

雑記

 

音楽は、6歳からピアノ、12歳からギター、16歳から歌を本格的に練習し始めて、20代後半くらいでやっと自分の納得いく領域に辿り着いたって感じ。小さい頃から身近にとんでもなくうまい人が居たこともあって、誰かに習うとかはあんまり気が進まなくて、誰の歌や演奏を聴いても感動することがなかった。技術的に上手い人は居ても、なんやろ……心に響くと言ったら稚拙な表現かもしれないけど、理屈より先に涙が出たり笑顔になったりするくらいまでのそれらに出会えることがなかった。

これはとても不幸なことかもしれないけど、そのかわり、そういうジャッジが出来るということは自分の中で明確な答えがあったとも言えるから、ある意味では幸せやったと思う。

そして、周りの人達はみんな、音楽で一儲けしたいとか、仲間内で騒ぎたいとか、ちやほやされたいとか、技術に酔いしれたいって動機で音楽をしてる人が多かったけど、以前のラジオでも言ったように、ある時、そういったことに全然興味がないんやな自分は…って気付いてしまって、めっちゃブランクに陥ったことがある。人を励ますだとか、感動させるだとか、音楽で寄り添うだとか、そういう動機はもちろんあったからやってきてたんだけど、いざ新しい音源を発表するとかライブで披露するとかなった時に、どうもそういう気持ちよりも「頭の中の音楽が現実に再現されてる」って事実そのものに共感を覚えてることの方が多かった。

自分の頭の中の音楽が形になることによって、主観でしかなかったものが客観性を帯びて、その「自分なのに自分じゃない存在(音楽)が表現してるもの」に共感をするっていう、文章にするとなんだかややこしい状況ね。

そしてブランクから脱する大きなキッカケになったのは、当然このサイトのテーマにもなってる「生死」で、人生の中で恐らく人よりもデッドラインってもんに幼少期からかなり近くて、自分に近い人達の中にもどうしてかそういう人が多かった。そんな中で、自身は合間合間に「普通に社会で優秀に生きる」みたいな時期も挟みながら両極で生きてきたから、なかなか価値観が人と合わなくて、ってことは共感されることもすることも少なくて、それは芸術に関しても言えることだった。

自己犠牲で、人のためなら死んでもいいと思ってた自分が、自分の考える100点の「人のため」を実現できない体になった時、現実的に歌もうまく歌えなくなって、あまり人前に出られる風貌でもなくなって、楽器もうまく弾けなくなって、惨めさや悔しさから初めて自分のためだけにしたいと強く思った行為が、皮肉にも「死ぬ」ってことだった。

結果的にこうやって文章を書いてそれなりに動けてるということは僕はオバケじゃないから、命は繋いでるし、なんなら元からの病気やら障害やらは治ってもないけど、人生の中で最高に幸せで自尊心が満たされていて自己肯定感MAXで生きてる。

どうしてかというと、人は極限の状態で生死を彷徨うと、なんかおかしな光景を見て、おかしな感覚を知って、とんでもない本質を理解する、みたいな経験を例に漏れず僕もしてさ。今となってはそれが、幻か現実か夢か妄想かはわからんけどさ。

んでその瞬間に大量の情報や知識が勝手に頭ん中に増えたんだけど、音楽にも関係する悟った内容の一部が「自分が一番共感(理解)できる人間は自分しか居ない」ってこと。暗雲が一気に晴れた経験。

自分以外の人間の心なんて100%は理解できないのが当たり前で、だからこそなんとか理解しようとする姿勢が「愛する」ことになるわけで。それを簡単に理解できる・理解してると思うことは、とんだエゴ、慢心なんだと。

そして、人に理解を求めることもかなりの強欲なんだと知った。だって100%不可能なことを「やってみろよ、ほら」って他人に強制してるわけやし。そんなのに従うのはマゾか奴隷くらいなもんで、大抵の人は耐えられずに狂っていく。どれだけ忍耐強い人でもね。

更に「こっちが望まなくても苦しさを理解して軽くしようとしてくれる=愛される」ってわかってから、「苦しい過去」の全てが「愛に溢れてたんだな」って気付いたし、いつも自分のそばに居るのは当然自分自身で、一番理解しやすい、愛しやすいのは自分やんって気付いて。

───とても明るく笑ってたのに自殺した同級生が2人いる。

───とても元気で力強かったのに、実はガンを隠してて急逝した恩師がいる。

人は見た目じゃ本当にわからなくて、もしかしたらかつて「元気にしてる?」って一言をかけてくれた人も、心の中はむちゃくちゃ苦しい状態だったかもしれない。それでも僕を気遣って、心を理解しようとして、少しでも軽くしてくれようとしたのかもしれない。

かつての自分は、知らず知らずのうちに「人のためのハードル」を自分だけじゃなくて人にも課していて、そんなハードルを人に越えさせるわけにもいかないから、自分は愛されなくても大丈夫、そんなもんは要らないとまで思ってた。

それでも蓋を開ければ、ハードルなんてもんは最初からなくて、実はたくさん愛されてたんやなって。一人じゃなかったんやなってわかって。あんなに周りが見えずに、思い込んだら突っ走ってお構いなしで好き放題やってたように見えたであろう自分でも、たくさん愛されてたし、その多くは見返りを求めてない人ばっかりだったって気付いた時に、大きな感謝と、今さら気付いた悔しさや申し訳なさ、色んな感情の波が押し寄せて、1週間くらいほとんど感動で震えて泣いて過ごした。

そっから、「もっと自由でいいんだ、もっと甘えていいんだ」って気付いて。そうして自分を大切にすれば余裕も増えるし、元気にもなれるし、そしたらもっと主体的に人に意識を向けられるっていう、そういうループが真理で、自然で、本質だから、長続きもするって。

……もしかしたらこれって、定型のみんなは考えなくてもわかってることかもしれんけどさ(笑)自分はここまでガチガチに論理で理解しないと納得できないというか、全然現実に活かせないん。

そして音楽を含む表現も、計6年くらい真剣に向き合えてなかったことになるけど、もっと自由に、やりたいように、その時々で感じたものをそのまま表現しようってスタンスに行き着いた。身体的な事情で、ある意味お金のかからない体になって、ありがたいことに時間にも余裕がある状態で多少動けるようになって、今こそ脳内の音を現実に形にして自分を喜ばせられる時やなってことで、再開した次第。

再開に際して、自己満でも人のためになるよって何人かにも進言してもらったから、公開することになった……という経緯。

なかなか理解できない世界観かもしれんけど、頭カラッポにして聴けば少しは得られるものがあると思う。どっちかというと、BGM(インストゥルメンタル)の方が、脳内を適切に表現できてる感がある。聴くより感じる方がいいかも。

 

……長いな、ごめん。

 

 

 

スポンサーリンク

Posted by tkhtzzz