加害者や悪を許せないなら、彼らの幸せを願おう。人は心が満たされていれば悪意を持たないから。

心の道しるべ

加害者が幸せになれば再犯はない(例外あり)

非暴力主義で平和はない

ブログの初期の頃のエントリーにも書いたけど、10代の時、二人の不良に濡れ衣や勘違いから1時間足らずリンチされたことがあって、全治半年のケガを負ったのね。
ニュースで中学生リンチ事件を見て1時間足らずリンチされた時のことを書こうと思った

上顎骨骨折陥没と全身打撲で、10年以上経った今でも骨格が歪んだままだから顔の右が奥まってたり、首とか腰が神経に触れて痺れたりしやすくなってて、いわゆる後遺症は年々ひどくなってる。

事件の時、自分は非暴力主義で1発も反撃しなかったことが功を奏して(?)、刑事裁判も民事裁判も圧勝だったんだけど、なにせ少年法という忌まわしいルールに守られて、彼らは鑑別所に1年と、その親らから慰謝料と治療費で150万円という罰のみだった。それが法が下した結論。

これが重いか軽いか、高いか安いかはさておき、僕はこの頃から「非暴力主義」ではなくなった。

例えば、戦争。外交の失敗によりどっかの国が戦争を仕掛けてきて、非暴力主義だからとコテンパンにやられて、国が壊滅して、その強欲と支配と暴力にまみれた国が世界を牛耳ったら、もっともっと被害が拡大して、最後に残るは北斗○拳みたいな世界なわけで。

これは、規模が違えど個人の話も同じことで、「暴力には暴力でしか対抗できない」のは当然なんだ。

ロボットのような強靭で圧倒的な防御力があれば別だけど、生身の人間ってのは想像以上に脆い。
ナイフで刺したり鈍器で頭を殴れば、どれだけ鍛え上げた肉体を誇ってようがたやすく死に至る。
だからこそ、正当防衛という言葉があり、それは自分のためだけではなく他の人を守るという大きな意味でも「悪意と暴力に屈服してはいけない・許容してはいけない」と感じた一件だった。

正当防衛と復讐は違う

だけど正当防衛は最終手段であって、事が起きた後で復讐や報復を目論むのもそれは一方的な暴力で、時系列はあれど結局は「別の事件の新たな加害者」になるから、同レベルになってしまう。
これは、僕の事件後に周りの人が詳細を知って、僕のために怒り狂ってくれてやり返そうとしてくれたことから学んだ。
親や友人や恋人、みんな極度の心配からの怒りだったんだろうし、その気持ちはとても嬉しかったんだけど、殴られたら痛いのは人間なら誰でも一緒だし、それで何かが解決するわけではないと冷静に考えてたことを覚えてる。
それもこれも、運良く命は助かったからこそ得られた学びで、普通はそのまま殺されて泣き寝入りやろうなぁとも思うわけです。

不幸感が人を攻撃的にする

そして本題の、現在は僕自身が加害者らのことをどう思ってるかだけど、率直に言えば、タイトル通り、彼らの幸せを願っている。

これは別に自分が善人でありたいとか、やせ我慢をしているとか、逆に全部を受け入れて許しているとかそういうことではなくて、どう考えたって犯罪や敵意や悪意を無くすためには、当事者が幸せになるしかないっていう至極当然の論理。

人間って、心が本当に満たされている時って他人を攻撃しようなんて考えない生き物やからさ。
例を挙げるなら、満腹で安全な場所にいる野生動物が人を襲ったりするなんてないのと同じ。
腹が減ったり、不安や恐怖を覚えた野生動物は、いとも簡単に人を襲うやん?

つまり、加害者側も、何か理由があってそういう行動に出るのは因果の法則からも必然で、その理由が先天性のサイコパスならいざ知らず、多くは後天的な劣悪な環境によって生じるってこと。

その大半は、愛情の欠乏なんだよ。このブログでもテーマになってる自尊心や自己肯定感の欠如ね。
人に優しくできない、人を愛せないのは、本人も含めた人間に愛情を向けられることが稀な人生を生きてきたってこと。

乳児期~幼児期に遡った時、不変的な愛情を周囲から与え続けてもらうことによってしか、絶対的な自尊心というのはなかなか養われない。
家庭不和など機能不全家族の中で育ったら、誰しもが常に愛情に飢えた状態になってしまって、大人になるに連れてその機会はどんどん失われて、余計にこじらせていく。
その「黒いもやもや」の発散をするために、攻撃の刃を自分に向ければ自殺、他人に向ければ殺人と、どちらにせよ命を奪ったり心を傷付けたりする結果になる。

自分や他人の境界なんて本来なくて、人間なら人間を大事にするべきだから、他人だろうが自分だろうが苦しめちゃならないはずなんだけどね。

生きてるだけで褒められるはずの子ども時代にも、減点法で色んなハードルを課せられたり、自分が存在してることの意味を見出だせないほど放置されたり虐げられたりしていたら、そりゃ現代の社会では大人になってからのほうがもっとそういう理不尽は増えてしまうから、己の価値を見失う人が多いのは当然やんな。

そうすると、いつしか自分が自分に対してハードルをたくさん作ってしまって、○○な自分はダメ、この世界には愛がない、自分は愛されない、自分は満たされない、不幸だ、ダメだ、無理だ、みたいな思考が通常になってきてしまう。

本気で悪人を減らそうと思ったら、愛情と教育がマスト

だから、本当に「悪人」を減らそうと思ったら、教育を見直す=命や個体の価値を知って、教えて、人の存在自体を愛する・歓ぶことが最善の方法なんだ。

何を望まずとも、何も得られずとも、何を与えられずとも、生きていて良いんだよ、幸せを感じていいんだよ、って。
これは、大人から子どもへの一般的な教育ももちろんのこと、大人が大人に対してもという広い意味で。
家族や友人やパートナーやその他の他人とかも関係なく、人間が人間に対するスタンスね。

悪に向かう=価値をマイナスの方へ下げるってこと。
だから「ゼロでもあなたは素晴らしい存在なんだよ」ってマインドを、相手が理解・信用するまで忍耐強く伝え続けて、相手の脳に刷り込んで、それが「当然」と思えるまで伝え続ける必要があるってことなんよ。

理想と現実は正反対のようで紙一重

とかなんとか言いながら、これは理性が働いてる限りの話で、例えば自分自身じゃなく自分の家族や、もし嫁や子どもが居て同じような事件に遭ってしまったら当然、僕も怒り狂って正気を失って復讐の鬼になってしまうかもしれない。

だからこそ!!!

そんなことに遭遇する前の、普段の生活の中では理性を働かせて、人の心や感情や思考を汲み取って、ありのままのその人を肯定して、なるべく穏やかで楽しい時間を共有する意識や姿勢を持って生きて、人の悪意を減らして善意や喜びを増やしたいと考えてるわけです。

言い方を変えると「全ての人間を幸せにすることが究極の自己防衛・抑止力・犯罪防止策」と言える。

事件までいかなくとも、生きてりゃいろんな悪意に遭遇するよな。

家族、友人、恋人、先輩後輩、上司部下、果ては自分から自分に向けてなど、全ての人間関係に及ぶこと。

その原因が、表面上は経済面や健康面にあるように見えたとしても、更にグッと掘り下げてみれば、実は全部「愛情の欠乏から生じた自尊心の欠如」から来てるって、ここまで読めばわかるはず。

あなたの日常に置き換えて考えてみると、腑に落ちると思うよ。

またでBye。

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Posted by tkhtzzz