はてなブログから自サイトに移転した

雑記

どもども、たかひとです。遅ればせながら、あけおめことよろ。
この度、久々に自分のサイトを作った、私だよ。
はてなブログでは「梵我一如の先」というタイトルだったけど、今回「アスペイズム」に改名もした。
サイトを作ったり運営しようと思ったのは何年ぶりだろう。音楽を精力的にやってた頃は、自分でバンドのHPをHTMLで作ったりしてた。

今は全然コンテンツもブログだけで充実してないけど、ちゃんと、いい感じに色々と届けられるような仕組みを少しずつ作ってこうと思うよ。

※移転の報告したかっただけやから、以下のきっかけは長くなるし、長いの苦手な人は読まなくていいよ。

今回移転したきっかけは2つあって、1つは、2016年(はてなブログを始めてすぐ)くらいの記事に、つい先日、強烈なコメントがついたから。
「ガチめで死にたい人向けの手記」

そもそも、2018年末くらいには、音楽の公開もブログもやめようかと真逆の考えをしていたのね。
でもこの記事にコメントがついて(非承認だから公開はされてない)、その内容が、今まさに死のうとしてる人からのコメントだった。

恐らく三十代後半くらいの人で、ずっと人のために頑張ってきて、いつかそれが報われると信じながら自己犠牲を極めて、疲れ果てて、もう家族やご両親が亡くなった後には死のうと思ってる、と。

それでも上の記事を読んで「死のうと思ってる気持ちはまだまだ変わらないかもしれないけど、貴方の言葉から明日を生きるための元気を頂きました、ありがとうございます」ってコメントを下さった。

今までにも何人かにコメントを頂いてたんだけど、今回ほど赤裸々で、正直で、痛切で、具体的なコメントというのは初めてで、もう……いろんな思いが込み上げて号泣・嗚咽しちゃった。
2~3日くらいは抜け殻になるくらい衝撃的だった。

スクショしてiPhoneの壁紙にした。(買った時の壁紙から変えないタイプなんだけども)

記事にもある通り、かつての僕は元々そっち側の人間で、どれだけつらくても我慢して耐えて、身も心も財も全てを人のために捧げる、人の役に立つ・人を幸せにする・人を笑顔にするということこそが自分のやるべきこと(義務)だと思って生きてきた。そこまでは良いことなんだけどね、極端な性格というか考え方だから、そうできない自分には何の価値もなくて、もしそういう生き方ができなくなったら生きてても仕方ないとまで思っちゃってたのね。

それで実際に、身体的に大変な状態になって寝たきりになって、ベッドに寝てるか座るか、服も着れない、食べ物もほとんど食べられない、時に喘息の呼吸困難に襲われるけど薬も使えない、目もどんどん見えなくなってく、仕事なんてできない、皮膚の病気もひどかったから見た目はゾンビ一直線、回復の目処も立たないし治療法もないし原因もわからない………みたいな状態になって、自分も父もアスペだから家族全員が衝突しっぱなしの人生だったんだけど、その家族にも負担ばかりかけて心配もかけて、家族のためにも自己犠牲で生きてきたのに今さら「借りを作る」のが惨めで悔しくてムカついて情けなくて、という状況が数年も続いた。

自分のことさえ自分でできないなんて粗大ゴミじゃないか!くらいに思って、心から死を望んで、実行しようとした。
この時の話は、また近いうちに詳しく書こうと思うから割愛するけど、とにかく「本当に死のうと決めた人の苦しみ」が痛いほど理解できる。その心の状態を。

よく一般的には「人の気持ちを考えよう」とか、「人の嫌がることはしないように」とか言うけど、それって、人の数だけ答えがあることだから、とても曖昧で、理解することなんて100%不可能なんだよね。感情の種類、方向、強さや深さ、そんなもんは数値化できないんだから、完全に理解することなんて不可能で、もし理解できると思ってるならそれこそエゴ。傲慢。だからこそ「理解しようと努力すること」が愛になる

一方で、老衰以外で死ぬってのはその「いやだ、つらい、苦しい、痛い」って気持ちの究極のゴールでしょ。それは全人類共通、全ての人に共通した最終ゴールなんだよ。だから100%共通していて、それを経験ができたのは最大の収穫というか、むちゃくちゃ幸せだなと。
自分の意志で死のうと決めて実行する時の人間の心の状態って、ネガティブとかいう言葉じゃ表現できないほどに地獄で、何もかもをマイナスにしか解釈できなくなっていて、誰の言葉もどんな考え方も励ましも勇気づけも、全てを皮肉や攻撃や嫌味やウソに捉えてしまうから届かなくて、本当に救いようのない地獄なんだよ。
天国や地獄ってのは、そういう場所があるんじゃなくて、全ては人の心の状態で、一人ももれなく共通してるんだと実感した貴重な経験。

つまり、「一番救うのが難しい状態」ってこと。もう、物理的にそばに居る人間にだって難しい。というか、そういう地獄の精神状態の人と毎日関わらなければならない関係性の人ほど引っ張られるから、余計にポジティブシンキングもできなくなっていって、論理や合理も考えられなくなって、負の連鎖が起きる。
不可逆とも言えるその連鎖の中で、たった一人の命を救うことは、自分の人生を最初から最後まで幸せなものにするよりも遥かに難しいことだと知ってる。

少し脱線したけど、だからこそ、コメントをもらった時に崩れ落ちた。
その人の精神状態で、そうやってコメントを送ろうとした勇気、感謝を伝える誠意、それでも死にたさは消えないという正直さと、その人の抱えるものの大きさ、その状況や価値観を構築することになった環境・境遇の恵まれなさ。
一方で、アノ時に自分が失敗せずに自死を完遂していたら、この人が伝えてくれた「明日を生きる元気」を与えさせてもらうこともできなかったし、逆に自分がそういう経験をしていなくても、この人の心に響く言葉を綴れていなかっただろうなという複雑な気持ち、人の役に立つなんて難しいから別にもう発信しなくてもいいかと思っていた最近の自分の浅はかさ。
いろんな感情や記憶が雪崩のように押し寄せてきて、しばらく大変だった。

説明が長くなったけど、そういうことがあって、考えを改めて、意志を固くしたんです。
自分の生きるフィールドの中で、自分だけが知ってることがある。自分だけが経験したことってたくさんある。
それは僕だけじゃなくて、みんな同じ。それぞれ、一人しか存在しない貴重な命。仮に人と同じ経験をしたって、本来は比べられるものじゃないんだよ。
例えば10人が、チューリップの絵を完璧に同じように模写したとして、誰にも見分けがつかない10枚の絵になったとしても、それでも自分が描いたということは真実で、それ自体が意味であり価値であり、誰にどんな影響を与えるかは未知数ってこと。

きっと、日本中や世界中には、かつての僕と同じような精神状態の人がたくさん居て、僕みたいに完全に乗り越えられる人ばかりじゃないだろうなって思う。
「紙一重」だから。こうしてる間にも、1日に100人以上もそういう人が居るという事実を考えれば、迷ったり悩んだりしてる時間ももったいないなって。
求められてる情報を、誰より説得力を持たせられる人間が、生きてアウトプットし続けることが大切だと思った。
何がどれだけ誰のためになるか、これは本当にわからない。何にどれだけの価値があるか、誰もわからない。
だからこそ「価値がない」と思った瞬間にそれらは全て「無価値」になってしまう
そんな非建設的・非生産的な考え方をするために僕は生き長らえたわけではないし、保身のために繋いだ命でもない。価値は有無じゃなくて見出すもの
金では変えられない心や救えない命、ネガティブ、刷り込み、社会的な洗脳、集団催眠、覆しにくい価値観の呪縛を、自分のできる範囲で解放していくために生きることを目的にしようと、思い直させてくれた。

長くなったけど、もう1つのきっかけは、幼馴染で今でも仲良くしてる友人が、「僕が発信することの唯一性と大切さ」を熱く語ってくれて、どうせなら自分100%のサイトを作ったほうが、アクセス数とか後々のこと考えて便利でお得で、届けるべき人たちに届きやすいって教えてくれたから。
これについては、また長くなりそうだから、別の機会に書こうと思うよ。

人を大切にするために、自分を大切に。

思考と感情の深さ、即人生。

全員がもれなく幸せじゃない社会など、お断りだぜー。

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