記憶は財産?「人の記憶に残るために生きる」という生き方の落とし穴
記憶は財産ではなくオプション
「記憶こそが財産」という言葉を聞いたことがある。
あなたもあるんじゃないかな。
けど、正確には、記憶って「配当金」くらいなんだよ。
「存在という極大の元本や資本金」、もっと言えば資源が最初にあって、記憶は数あるオプションの中の1つに過ぎない。
僕自身、二十代半ばくらいまでは「人との記憶の共有量=人生の財産」と考えていた。
ただ、ハンパに記憶ができすぎる特性のせいで、自分は覚えていても、相手は覚えていない、ということが多い。
もちろん逆の場合もあるけど、前者の割合が高い。
一番古い記憶は2歳で、周りの家族が話してる雰囲気や情景、自分の視界も覚えてる。
でも家族は覚えていない。
───いろんなことを学んでからというもの、記憶に限らず個体差のあるもんに依存・固執するべきじゃないと知った。
人間は、依存と固執・執着に比例して、感情がブレブレになるし、苦しくなるし、寂しくなるから。
存在の証明なんかしなくても、存在こそが証明
よく「存在の証明」という言葉も聞く。
自分が生きた証を残して、死んでからも人々の記憶から自分が忘れ去られないようにする、みたいな。
ただ、生きてる事が自分のコントロール下にあると思ってる人は、エゴイストだと知った方が良い。
完全に真逆だから。
つまり、生きてることのコントロール下に自分が在る。
すなわち、自分が「命にコントロールされてる」ってこと。
あなたが寝てて何も知覚できていない時でもあなたは生きてる、ってことだけ考えてもわかること。
証明なんてなくても、起きてる時、100%意識はここにあるし、その時あった。そう知覚してるし、してた。誰が覚えてなくとも、存在した。
未来永劫変わらない。それが全て。真実。
「誰かの脳内に自分が居ること」は、確かにエモいことかもしれない。
けどそこに自分の存在価値・存在意義・存在の証明を見出すのは、結局は他力本願と責任転嫁だから、いずれ苦しさを生む。
たとえば、昨日までの記憶が毎日無くなる障害の人だって、世の中には居る。
毎朝、まずベッドルーム中に並べられた写真立てやアルバムを眺め、パートナーから自己紹介と、馴れ初めと、昨日までの互いの人生を聞かせてもらうことから1日が始まるとか。
その人は、不幸なのか?
パートナーは、不幸なのか?
お二人は、人生を楽しめないか?
誰のことも記憶できないその人は、誰の価値にもなれないのか。
そうじゃない。
存在自体が価値だから。
もっとシンプルな回答は、赤ちゃん。
産まれてすぐの赤ちゃんは、何も記憶がない。
もし自分を記憶してない者が自分にとって価値がないなら、赤ちゃん全員価値がないことになるし、地球の裏側に居る一生会わない人も価値がないことになる。
てんでおかしい論理ってことに気付くと思う。
「存在は本当に存在するか」という証明は、前提として、自分が知覚してるかどうかでいい。
自分が認識しているからこの世界は存在し、目の前の愛する人が存在してる。
意識があるから、「有るか無いか」をジャッジできる。
このブログを読んでる人はご存知やと思うけど、僕は、別の時間軸の存在が証明されない限り、この世は必然だけだと考える。どんな悲劇も喜劇も。
必然で、存在してる。それだけなんだよ。
産まれる確率は宝くじのそれを軽く凌駕する
少し脱線して、性教育の話になるけど、射精1回分の精液の中に精子は約1〜4億匹いる。大抵、その1回分で見事受精するのは極めて稀。
「妊活」という言葉があるくらい、新たな命を授かるのは難しい。
それを考えると、数億〜数十億匹が、生死を懸けた(下ネタギャグではない)過酷なレースをし、見事勝ち抜いた1匹が受精し、着床し、遺伝子情報を基に細胞分裂し、1人になっていくというのは、もうとんでもない奇跡。
男性の体内で作られる生涯の精子量は平均86500mlで、2兆匹以上にもなる。
人口の半分が男性として、そこに35億を乗じ、女性の卵子量でも同じ計算をして、その男女の解を掛け算して出た解を分母としたうちの「1」が、あなたの誕生確率。
見事、形になったあなた1人に対し、圧倒的な「ヒトとして存在できなかった存在たち」の数たるや。
誕生確率だけでもこの天文学的数字で、これが存在確率ともなれば、毎秒、宝くじの一等賞が当たっても足らない奇跡が必然で起こってる。
「存在してる」という真実だけで、もう必然の選ばれし者であり、あらゆる価値を超越した究極の価値を得てるも同然なんだ。
……いつも言ってるように、その価値を人間や社会が蔑ろにしてしまってるから、悲観的な風潮が漂って狂ってくんだけど、ここでは割愛する。
「今以外」に時間を使うほど「今」を失ってるという事実~マインドフルネス
過去も未来も、ここにはない。
ここにあるのは「今」だけ。
過去の集大成が現在であり、現在の集大成が未来で、すべて地続きなんだけど、結局は厳然とここにあるのは「今」だけ。
「今」の価値と「存在」の価値をどれだけ感じるかが、一番大きな幸せへの唯一の切符。
あなたにもこれを忘れずに生きてほしい。
人生の価値は、もっともっと単純で、かつ極大で、瞬間・刹那の積み重ねで、それゆえにみんな忘れたり複雑にしてしまったりする。
だけど「今存在してること」を一番大切にして生きれば、自ずと過去も未来も輝かしいものになると気付けた時、何も代わり映えのない日々のままでも、心が音を立てて激変する。
逃げるべき時は逃げ、休む時は休み、心を大切に、ね。