会話に詰まったり、だんまりしてる理由として、嫌われたくないとか不快にさせたくないとか、相手の発言が理解できないってことは全然なくて、「頭ん中の溢れる情報を、如何に誤解なくまとめて、簡潔に伝えられるか」を考えてる。
だからキャッチボールが遅くなる。
伝えたいことと伝わったことが異なると、発狂しそうなくらい無理。手間。面倒。自責。
まず会話中に考えること。
相手の発言の額面の意味と、発言の意図、その発言までの経緯、求めてる返答、会話の最終目的、現在の感情とか。
それを基に、自分の思考を整理して、言語化して、相手の理解力でうまく咀嚼・嚥下できるかを見直して、ダメそうならもう一度言語化し直すというプロセスを踏む。
次に、相手が理解はできたとして、それをどう捉えて、どう感じて、それによって感情がどう変化して、その変化で何が起きるかを予測する。
これを、リアルタイム、同時進行でやりながら会話してる。
これが文章ともなると、短いやり取りでも予め20パターンくらいシミュレーションするし、会話の5手先くらいまで予測する。
つまり100通り。
なぜそんなことをするのかというと、言葉に額面以外の感情が有ると思い込む人ばかりだから。
恋愛で言えば、好きと言えば好きだし、めんどいと言えばめんどいし、愛してる大切大事と言えばそうだし、審美眼として素敵だかっこいい可愛い綺麗だってのも本音だけだし、全部、そのままの意味しかないのに。
日常の意思伝達手段の言葉に、普段から言外の意味を持たせるなんて効率悪いし、本音じゃないことを言う時間が非常にもったいない。
勝手に言外の意味を邪推されて、ややこしくなるから、本当は単純な感情を伝えたいだけなのに、いちいちその感情の強さとかベクトルを証明する形で会話・行動しないといけないのが、煩わしくて仕方ない。
人の感情のベクトルや強さを測ったり期待したり証明を望むのは、とんでもない暴力。
だから、頭の回転が早い人と話してるとかなりラク。
10話す必要がそもそもなくなるから。
1話せば、勝手に10まで膨らませるか理解し合える。
同じように同時進行で考えながら、言葉を額面通りの意思伝達手段として話せる人は、本当に貴重な存在。
ラクだし、おもしろいし、時間を効率的に使えてる充足感がある。
つまり、それがアスペ多動同士の会話なんだけどね。
マジョリティである定型は、アスペ多動と真剣に向き合うと、思考と知識の海に溺れて、精神が崩壊しかねない。
だから僕らなりに配慮して、関わろうとしない。つまり自閉になる。
それに気付けず見下してくる多くの人の思考浅薄さを、僕らは残念に思い、憐れんでいる。
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